市川 私も作品や、インタビューなんかでも、外に出してはいけないようなギリギリのところを書いたり話したりしているんですよ。不安になって発表することに逡巡することもあるけれど、いざ発表すると読者には受け入れられて、喜ばれたりするんですよね。私の場合は、その最たるものが芥川賞でした。こういうことは、とても意外だし面白いことだなと思っています。いま、佐野さんが障害者として周りから求められるイメージとおっしゃったことは本当にそのとおりですね。どうしても周りの目を気にしちゃいますよね。
佐野 そうなんです。私は周りから求められる健気でいい子で、障害があるのに頑張っているみたいな女の子像をいままでずっと演じてきた部分があったんですね。でも本質的に私がやりたかったのはそんなふうにいい子を演じることではなくて、障害があるなしにかかわらず、絵を描く、本を読む、作文を書くことでした。普通にひとりの女の子としてやりたいことがたくさんあったので、そういうことをやっていいんだよなと『ハンチバック』を読んで気づかされました。
人の感情にはグラデーションがある
市川 若い人たちにはやっぱり自由に、自分のやりたいことをやってほしいという思いがあります。進学先や将来の目標、自分の本当にやりたいことを見つける。これは健常者であっても難しいことではあるんだけれども、障害者の場合は、どうしても周囲の理解があるかどうかで悩んでしまって、自分の希望をあきらめる人もいると思うんです。でも、そこは社会がきちんと、障害があっても、自由に自分の希望が選べるようにサポートしてほしい。そういう社会に対して、私は大人のひとりとして責任を感じています。だから佐野さんも、どうか自分のやりたいことを第一に追い求めてほしいです。
佐野 いま市川さんが責任とおっしゃいましたけど、私もまだ17年しか生きていない子供ながらに、責任というか、今後の未来のためにやらなければいけないことがあるなと感じています。社会から自分が受け入れられていないとか、いないことにされている。他にも障害を持つ当事者として感じてきたことがたくさんあるんです。なので、これから将来、障害を持って生まれてきた子供たちにこんな思いをさせてはいけないなと。社会を少しでもいい方向に変えられるようにならなければと思うんです。
市川 佐野さんはバリアフリーに向けた社会活動などをされていますよね。そちらを拝見して特徴的なのは、楽しそうになさっていることです。周りの方々も、佐野さんの活動に可能性を感じているんじゃないかと思います。すごく頼もしいし、楽しまれていることが伝わって、こちらも励まされるって言うと適切じゃないかもしれないけど、佐野さんはポジティブでとてもいいと思います。
佐野 そう言って頂けると、とても励みになります。私は楽しいことをしちゃダメなんじゃないかというような思考になっていた時期もありました。世の中を変えるためにもっと社会に主張して伝えていかなければと思っていたんですけど、〝社会を変えねば〟と肩に力を入れ過ぎると、自分で自分の首を絞めることになってしまうんじゃないかとも思ったんです。考え方を変えて、自分が楽しいことをした先に、社会がいい方向に動くことが理想なんじゃないかなと。なので自分が楽しいと思えることを優先して、たとえばいまイベントを企画したりしているんです。障害者だけでなく、いろんな人が同じ空間にいて、みんなで楽しいことをしながら社会についての気づきを得られればなと考えています。そういう思考を切り替えるきっかけは『ハンチバック』を読んだことなんです。
市川 あの作品は、けっこうバカなことをする障害者の話だなと自分では思っているんです。でも、佐野さんのような読者の方がそうやってあの物語から何かポジティブなものを受けとったとおっしゃってくださって、とても嬉しいです。
佐野 私は元々、ポジティブな性格だと思っていたんです。17年しか生きていないので、心から絶望したと感じたことはないんです。でも絶望に近しい感情は抱いたことが何回かあって、根底にはネガティブなもので自分が作られているなとも感じていました。それでも、何とかなるかもとか、大丈夫かもとポジティブなものをあの小説の主人公・釈華から受け取った気がしています。人間にはいろんな側面があっていいんだなと。前向きなときもあれば、後ろ向きなときもある。人の感情はそうやってグラデーションがあるんだよなと釈華に教えてもらったんです。それは障害があろうとなかろうと、どんな人にも言えることなんじゃないかなと気づきました。
人は誰しも社会や世間に求められる自分を演じてしまうことがある。でも、会社と家での自分が違ってもよくて、いろんな自分がいていいと思うんです。ひとりの人間の一つの側面だけ見るんじゃなくて、周りの人も「そんなあなたもいいよね」と言ってくれて、言われた人も「こんな自分でいいんだ」と納得できることが、いい社会なんじゃないかなと思うんです。
私の中には弱音を吐く自分、前向きにがんばれるときの自分がいて、最近はこの二つの自分のバランスが取れるようになってきました。この気づきをもっと周りに広めたいなと思っています。
市川 本当にそうですね。人間にはいいかげんなところや、自堕落なところもあるんですよ。でもいまの世の中に足りないのは、冗長性というか、いま佐野さんがおっしゃった人の多様な面を許容できる余裕だと思いますね。
佐野 私は直接、自分で言葉にして社会に発信していかなければと思っていました。それは、障害を持つ当事者としての責任を感じていた部分があったかもしれません。でも、『ハンチバック』が世に出て、小説というフィクションで社会に訴えかけることができるんだなと気づかされました。あの作品によって、いままで内に抱えていた感情や弱みを外に出していいんだなと思えた。私以外にも、出したくても出せない感情があって、苦しんでいた人の救いになったんじゃないかなと。あの小説を読んで、内に抱え込んでいた感情を外に出せるきっかけになった人は、たくさんいるんじゃないかなと思ったんです。