重度の障害を持つ主人公を描いた小説『ハンチバック』(文藝春秋)。この作品は2023年、芥川賞を受賞し、主人公と同じ障害を持つ、作者の市川沙央さんが問題提起した「読書バリアフリー」という言葉も話題になった。
この作品を読んで、「ハンチバックの私達」という体験記を書き第43回「全国高校生読書体験記コンクール」(公益財団法人 一ツ橋文芸教育振興会主催)に入賞した佐野夢果さん。体験記には、車椅子で生活を送る当事者の視点から『ハンチバック』を読んだ衝撃が綴られている。そんな2人の対話がオンライン上で行われた。
障害者は常に健気でいなければならないのか? 「読書バリアフリー」が社会に必要な理由とは――
社会、そして自身に深く問いをぶつけるような2人の対話を載録する。
〝健気な障害者像〟を演じていたかもしれない
佐野 はじめまして、静岡県立掛川東高校の佐野夢果と申します。今日は市川さんとお話しできるということで、この上なく幸せに感じております。よろしくお願いいたします。
市川 こちらこそよろしくお願いします。私も佐野さんに会えてとっても嬉しいです。
佐野 私は普段から緊張しないことが自分の取り柄だと自負していたんですけど、いま、とても緊張しています。お話しできると決まったときからすごく楽しみにしていました。
市川 私も楽しみにしてました。なんでもお話しくださいね。
佐野 ありがとうございます。私は市川さんのエッセイや、インタビュー記事など、すべてに目を通してまして、そのなかで大体、私の聞きたいことは全部答えられてしまっていたんです。なので質問というより、私の印象に残った市川さんの言葉についてお話しします。市川さんは、あるインタビュー記事で「この社会に障害者はいないことになっている」というようなことをおっしゃっていました。それが私のなかで一番心に残っているんです。やっぱり、「障害者のことを知らない、身近に関わったことがない」などの理由から、障害者がいないことにされてしまう現実があると思います。ただ、障害者でなくても、いないことにされている人はこの社会に存在するなとも思ったんです。市川さんの、作品だけでなく作品の外で発する社会に対する強いメッセージに、私は市川さんと同じく障害を持つ当事者だけど、それを取っ払って、ひとりの人間としてシビれたんです。
市川 佐野さんが私の『ハンチバック』について書いてくださった読書体験記「ハンチバックの私達」を読ませて頂きました。佐野さんの生身の人間の熱が感じられて感動しました。体験記の冒頭の「そのニュースを知った時、身体中の臓器を全て体内から取り出されたような。そんな感覚だった。そして読了した今。一度取り出された臓器は、膨大な何かを詰め込まれ、私の体内に戻ってきた。その臓器から送り出される血液はあまりに速く、身体が張り裂けそうな感覚に陥った」と書かれてましたね。この臓器の表現がすごく温もりがあって素晴らしいと思いました。それと、佐野さん自身の障害を持つ女性としてのアンビバレントな揺れ動く感情と、喘ぐような思いがダイレクトに伝わってきてすごく心に迫るものがありました。
佐野 うわーめっちゃ嬉しい。あっ、めっちゃって言っちゃった(笑)。とても嬉しいです。
市川 『ハンチバック』をテーマに、あんなに素晴らしい文章を書いて頂いたこと、私もとても嬉しいです。
佐野 私はいままで読書感想文や作文を書くときに、前向きなことを書かなければとか、周りから求められる〝健気な障害者像〟を演じながら書いていたところがありました。それが、体験記の冒頭でも書いた、市川さんが芥川賞を受賞されたというニュースを聞いて、受賞作を読んで、いままでの取り繕って書いてきたような文章ではダメなんだなと気づかされたんです。うまく言語化できないんですけど……。『ハンチバック』に対して失礼な気がしたんです。それと、少しおこがましいかもしれないですけど、市川さんと同じ熱量で私も文章を書いて戦いたいなと思ったんです。市川さんから、そういう戦う原動力を頂いたんですね。
正直、この体験記を学校の先生に提出することに少し抵抗があったんです。自分の率直な思いを文章にしたので不安だったんです。でも、実際、提出してみると、先生たちは「すごくいいね」とか、「夢果さんにしか書けない文章だよ」と言ってくれたんです。私が勝手に周りには理解されない、わかってもらえないんだから表に出すべきではないと思っていた感情が、受け入れられたような一種の安堵感を覚えました。わざわざ悲劇のヒロインを演じなくても受け入れてもらえる場所がある。そう気づけたのも『ハンチバック』と市川さんのおかげだと思っています。