第14回:1948年ロンドン大会(開催国:イギリス)
開催日:7月29日〜8月14日
参加国・地域:59、参加選手数:4104人、17競技136種目
*第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツは招待されなかった。
第15回:1952年ヘルシンキ大会(開催国:フィンランド)
開催日:7月19日〜8月3日
参加国・地域:69、参加選手数:4955人、17競技149種目
*最も高緯度の都市(北緯60.32)で開催された大会。
*ソビエト連邦(ソ連)が初めて参加した。中華人民共和国(中国)と中華民国は、IOC総会で両国とも参加することが決まり、中国は初参加したが、中華民国は中国の参加に反発して参加を取りやめた。
*レスリングフリースタイルバンタム級で石井庄八がレスリング日本初の金メダルを獲得。
第16回:1956年メルボルン・ストックホルム大会(開催国:オーストラリア、スウェーデン)
開催日:6月10日〜17日(ストックホルム)、11月22日〜12月8日(メルボルン)
参加国・地域:67、参加選手数:3155人、17競技145種目(メルボルン)
参加国・地域:29、参加選手数:159人、1競技6種目(ストックホルム)
*初の南半球開催。
*オーストラリアの検疫制度などが原因で馬を移送することができず、異例の措置として馬術競技のみストックホルムで開催された。
*1956年10月に勃発したハンガリー動乱とスエズ動乱の影響で、スペインやエジプトなどが参加をボイコットした。
*体操男子鉄棒個人で小野喬が体操日本初の金メダルを獲得。小野はローマにも出場し、鉄棒で2連覇した。
第17回:1960年ローマ大会(開催国:イタリア)
開催日:8月25日〜9月11日
参加国・地域:83、参加選手数:5338人、17競技150種目
*アメリカのボクシング選手、カシアス・クレイ(1964年にモハメド・アリに改名)がライトヘビー級で優勝。
*体操男子団体総合で日本代表が金メダルを獲得。
*ウェイトリフティングバンタム級で三宅義信が同競技日本初の銀メダルを獲得。三宅は1964年東京大会とメキシコシティ大会にはフェザー級で出場し、2連覇を達成した。
*自転車男子ロードレースの競技中、デンマーク代表選手が転倒の末に死亡し、興奮剤の使用が確認された。ドーピング対策のきっかけとなった。
*【トピック】「裸足の英雄」:エチオピア代表の陸上選手、アベベ・ビキラが裸足でマラソンを完走し、金メダルを獲得。
*【トピック】「最多連続金メダル記録」:ハンガリーのフェンシング選手、アラダー・ゲレビッチが男子サーブル団体で金メダルを獲得し、ロサンゼルス大会以来6大会連続で金メダルを獲得(団体と個人が混在しているため同一種目ではない)。同記録は未だに破られていない。
裸足でマラソンコースを走るアベベ・ビキラ(1960年ローマ大会)
第18回:1964年東京大会(開催国:日本)
開催日:10月10日〜24日
参加国・地域:93、参加選手数:5151人、19競技163種目
*初のアジア開催。
*柔道とバレーボールが正式競技に追加。
*ボクシングバンタム級で桜井孝雄が優勝し、同競技では日本初の金メダルを獲得。
*【トピック】「東洋の魔女」:1960年代に最盛を誇った日本の女子バレーボールチームのニックネーム。もともとは、当時の日本で最強と言われた大日本紡績(現・ユニチカ)貝塚工場チームが1961年のヨーロッパ遠征で22連勝した際につけられた異称。東京オリンピックでは、同チームの選手を中心に結成された日本代表チームが、バレーボール女子決勝戦でソ連を破って優勝した。
決勝でソ連と戦うバレーボール女子日本代表、通称「東洋の魔女」(1964年東京大会)
〈1968年4月4日、アメリカの黒人公民権運動の指導者だったキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)が暗殺される〉
〈1968年8月20日、同年春から始まったチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」に対し、ソ連が主導して軍事介入し鎮圧した〉
第19回:1968年メキシコシティ大会(開催国:メキシコ)
開催日:10月12日〜27日
参加国・地域:112、参加選手数:5516人、19競技172種目
*初のラテンアメリカ開催。
*ドーピング検査を導入。
*【トピック】「100メートル10秒台の壁」:陸上男子100メートル決勝に出場したジム・ハインズ(アメリカ)が9秒95でゴールし優勝。オリンピックで初めての9秒台を記録した。
*南アフリカがアパルトヘイト(人種隔離)政策のため不参加となった。
*釜本邦茂を擁する男子サッカー日本代表が準決勝まで進み、3位決定戦でメキシコを下して3位入賞。日本サッカー初の銅メダルを獲得。釜本は同大会で7ゴールを挙げ、得点王となった。
*【トピック】「ブラックパワー・サリュート」:「黒人の力を示す敬礼」の意。陸上男子200メートルの表彰式で、アメリカ代表の黒人選手が行った反人種差別パフォーマンス。1位のトミー・スミスと3位のジョン・カーロスは、アメリカで続く黒人差別に抗議する意をこめ、国歌演奏中に頭を深く下に向け、黒手袋をつけた片手を突き上げた。二人はオリンピック憲章(スポーツの政治利用を禁ずる)に違反したとしてアメリカ選手団から除名のうえ強制帰国させられ、アメリカ陸上界からも追放された。2位のピーター・ノーマン(オーストラリア)は白人だったが2人に賛同し、2人と同じバッジをつけて表彰台に立ったことで長く誹謗中傷にさらされた。
表彰台で拳を突き上げるトミー・スミス(中央)とジョン・カーロス(右)(1968年メキシコシティ大会)
第20回:1972年ミュンヘン大会(開催国:西ドイツ)
開催日:8月26日〜9月11日
参加国・地域:121、参加選手数:7134人、21競技195種目
公式マスコット:バルディー。ミュンヘン大会の陸上マラソンコースをかたどったダックスフント。
*【トピック】「ミュンヘンオリンピック事件」:会期中、パレスチナの過激派組織「黒い九月」が選手村に侵入。イスラエルに拘留されているパレスチナ人の解放などを求め、イスラエル選手団11人のうち2人を殺害、残りの9人を人質に立てこもった。最終的に過激派8人のうち5人が死亡(3人逮捕)、人質全員と警察官1人、合わせて12人の犠牲者が出る大惨事となったが、大会は続行された。
*夏季オリンピックでは初めて、公式マスコットが作成された(オリンピック全体を通じて最初のマスコットは、1968年グルノーブル冬季オリンピックの「シュス」)。
*バレーボール男子日本代表が初優勝。
*アメリカの競泳選手、マーク・スピッツが、出場した7種目(男子バタフライ〈100メートル、200メートル〉、男子自由形〈100メートル、200メートル〉、男子メドレーリレー400メートル、男子自由形リレー〈400メートル、800メートル〉)すべてで世界新記録を出して金メダルを獲得。
〈1974年、オリンピック憲章から、出場選手をアマチュア選手に限る、いわゆる「アマチュア規定」が削除される〉