●戦後の混乱とGHQの承認
1946年(昭和21年)
*「金融緊急措置令」と「日本銀行券預入令」により、新しいお札の発行を計画したが、その製造が間に合わず、暫定的に旧来のお札に証紙を貼付して使うことになった。
*終戦直後には、生活物資の不足、旧軍人への退職金など臨時軍事費の支出が多くなり物価が高騰した。そのため、国民の預貯金の引き出しも激しくなり、銀行券の発行が急激に増え強烈なインフレーションが起こった。
これを受け政府は1946年(昭和21年)2月16日、「総合インフレ対策」として、「金融緊急措置令」と「日本銀行券預入令」を発表した。これは、同年2月17日以降、全金融機関の預貯金を封鎖するというもの。流通している5円以上の日本銀行券(旧券)を同年3月2日限りで無効とした。同年3月7日までに旧券を強制的に銀行に預けさせ、既存の預貯金とともに封鎖した。
*新様式の100円、10円、5円、1円、10銭、5銭のA券6券種が1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)にかけて発行される。「日本銀行券預入令」では、一定限度内に限ってこの新券と旧券との引き換えおよび新円による引き出しを認めていた。このことと、上記した預貯金の封鎖からの一連の流れのことを「新円切り替え」と呼ぶ。
*表面の図柄は100円券に聖徳太子、10円券に国会議事堂、5円券に彩文柄、1円券に二宮尊徳、10銭券に鳩、5銭券に梅花。この5銭券は日本で一番小さいサイズ(縦の長さが48ミリ、横の長さが94ミリ)であった。
*上記6券種の図柄の採用にはGHQの承認が必要であった。そのため、当初の案から図柄の変更がなされることもあった。たとえば当初、日本政府は1円券に旧来通り武内宿禰の肖像を採用したかったが、GHQは武内の肖像はミリタリズムのシンボルであるという理由で承認しなかった。代わりに二宮尊徳が採用された。
*通貨当局は、上記券種の印刷が簡素なため、次期銀行券のデザイン、印刷方式、用紙の仕様などの検討を開始。
*軍国主義、神社神道などにゆかりのある人物や建築物を紙幣や切手の図柄に使用することは、GHQの占領政策に反するとして認められなかった。そのため通貨当局は、どの肖像がGHQの審査に合格できるか知るために候補者20名をリストアップした。以下が候補者。
光明皇后、聖徳太子、貝原益軒、菅原道真、松方正義、板垣退助、木戸孝允、大久保利通、野口英世、渋沢栄一、岩倉具視、二宮尊徳、福沢諭吉、青木昆陽、夏目漱石、吉原重俊、新井白石、伊能忠敬、勝海舟、三条実美。
のちに採用された夏目漱石、福沢諭吉、野口英世、渋沢栄一が1946年(昭和21年)の時点で候補に挙がっていたことがわかる。
1950年(昭和25年)
*1000円、500円、100円、50円のB券4券種が1950年(昭和25年)から53年(28年)にかけて発行される。
*図柄は1000円券に聖徳太子、500円券に岩倉具視、100円券に板垣退助、50円券に高橋是清の肖像が採用された。裏面には1000円券に法隆寺夢殿、500円券に富士山、100円券に国会議事堂、50円券に日本銀行の図が描かれた。
*聖徳太子、岩倉具視、板垣退助は先の20名の候補者のなかでGHQに承認された人物より選出。高橋是清は、一説によると50円券裏面に描かれた日本銀行の図柄に合わせて採用されたといわれる。100円券は、当初は大久保利通の肖像を考えていたが、裏面の国会議事堂の図柄が大久保に関りがないという理由から、議会制度に縁の深い板垣退助が選ばれた。板垣は1948年(昭和23年)に発行された小額政府紙幣の「B50銭紙幣」の肖像にも選ばれている。
1957年(昭和32年)
*5000円、翌1958年(昭和33年)に10000円のC券が発行される。
*表面の図柄はどちらも聖徳太子。裏面には5000円券に日本銀行、10000円券に彩文柄が描かれる。同一人物の肖像を採用した2つの券種を混同しないようにお札のサイズを変え、肖像を異なる位置に配置するなどの工夫がされている。
*この2券種は、精緻な透かしを入れるなど、当時、世界最高峰の偽造防止技術が採用されていた。
●戦後最大の贋札事件に対応して
1963年(昭和38年)
*C1000円券が発行される。
*1961年(昭和36年)暮れから秋田県ほか東北を中心に贋のB1000円券が相次いで発見。「チ-37号事件」としても有名なこの贋札事件を受けて1000円券のデザインの変更を決めた。警察は漢字の「千」とカタカナの「チ」が似ていることから、偽造1000円札の分類記号として「チ」を使ったといわれる。37番目に発覚した1000円札の贋札事件であることから「チ-37号事件」と呼ばれた。
*表面の図柄には伊藤博文の肖像が採用される。裏面には日本銀行が描かれる。
*肖像の選定には、東京大学の心理学研究室が行った世論調査などを参考にした。その世論調査と、大蔵省や日本銀行の関係者による検討の結果、明治天皇、伊藤博文、岩倉具視、野口英世、渋沢栄一、内村鑑三、夏目漱石、西周(にしあまね)、和気清麻呂の9人を候補にした。最終的には伊藤博文と渋沢栄一に絞られたが、偽造防止の観点から当時の印刷技術では髭をたくわえた伊藤の容貌のほうがお札向きであり、渋沢は一般に有名ではないなどの理由で見送られた。
1969年(昭和44年)
*C500円券が発行される。
*デザインはB500円券を踏襲して岩倉具視の肖像を採用。
*ただし、ほかのC券同様に偽造防止のためにデザインの仕様を変更している。具体的には肖像を大きく、より緻密な画面構成にして、お札の中央部にカラフルなシムルタン模様を採用した。
●肖像が政治家から文化人へ
1984年(昭和59年)
*C券を改刷した10000円、5000円、1000円のD券3券種が発行される。
*お札のサイズが、やや小さいものになり、目の不自由な人のための識別マークを表面に採用した。肖像のサイズはこれまでより大きくなった。
*図柄は10000円券に福沢諭吉、5000円券に新渡戸稲造、1000円券に夏目漱石の肖像が採用された。裏面には10000円券に雉、5000円券に富士山、1000円券に鶴が描かれている。
*3人はいずれも文化人で政治家は採用されなかった。C10000円券、C5000円券で長く採用されてお札の代名詞ともなっていた聖徳太子がお札の肖像から消えた。
*新渡戸稲造の描かれた5000円券の表面の下方には地球が描かれている。これは新渡戸が平和のために貢献したことを象徴した図柄といわれる。この地球の図には一種のシークレット・マークがあり、日本の北方領土と沖縄が小さく描かれている。
*このD券シリーズ発行が発表された1981年(昭和56年)、同時にC500円券をコイン化することが決まった。1982年(昭和57年)に500円硬貨が発行。この500円硬貨は当時、世界一高額の硬貨だった。
1993年(平成5年)
*10000円、5000円、1000円のD券3券種を部分的に改刷。
*凹版マイクロ文字、印章に特殊発光インキを使用するなど偽造防止強化を図った。
*デジタル式のカラー複写機の技術が向上したことにより、誰でも偽造が容易にできるようになり、実際にカラー複写機で贋札が作られる事件が急速に増加したため。
●平成の改刷と2000円券の発行
2000年(平成12年)
*D2000円券が発行される。
*西暦2000年のミレニアム記念事業の目玉として発行。
*図柄の表面には沖縄県にある首里城の「守礼門(しゅれいもん)」。これはG8サミット(第26回主要国首脳会議)が沖縄県で開催されたため。裏面には紫式部と源氏物語絵巻の「鈴虫」の絵と詞書を採用した。日本の古典文化を世界にアピールするという意味を込めた。
*当時、新2000円券を発行するという小渕恵三首相の記者発表から1年ほどしか準備期間がなかった。そのため、人物選定作業に要する時間がなかったので、表面に肖像を採用することを避けたと見られる。
2004年(平成16年)
*D券を改刷した10000円、5000円、1000円のE券3券種が発行される。
*表面の図柄には5000円券に樋口一葉、1000円券に野口英世の肖像が採用された。裏面には5000円券に江戸時代の絵師・尾形光琳(おがたこうりん)が描いた燕子花(かきつばた)図屏風。1000円券に富士山と桜が描かれている。10000円券の表面はD券から引き続き福沢諭吉の肖像を踏襲、裏面はD券の雉から宇治平等院の鳳凰像に変更された。
●令和の改刷
2024年(令和6年)
*E券を改刷した10000円、5000円、1000円のF券3券種が発行される。
*表面の図柄には10000円券に渋沢栄一、5000円券に津田梅子、1000円券に北里柴三郎の肖像が採用された。裏面には10000円券に、1914年(大正3年)に竣工した東京駅の丸の内駅舎、5000円券に大阪の「野田の藤」の図、1000円券に江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖波裏」が描かれている。
*銀行券としては世界初となる3Dホログラムを採用した。表面に小さく描かれた3Dの肖像が回転する最先端技術が用いられている。券種ごとに識別マークの位置を変更し、目の不自由な方でも触ってわかるように「深凹版印刷」が採用されている。また額面数字をこれまでより大きくしている。すべての人に使いやすい、ユニバーサルデザインを導入した。
*国立印刷局は、目の不自由な方のために、お札にカメラをかざすと券種を識別して音声と大きな文字で金額を知らせるお札識別アプリ「言う吉くん」(iPhone用)の無料配信を行っている。
参考文献
『紙幣肖像の近現代史』植村峻 吉川弘文館 2015年
『紙幣の日本史』加来耕三 KADOKAWA 2019年
『お札で学ぶ② お札で学ぶ日本の歴史』植村峻監修 くもん出版 2021年
国立印刷局HP
日本銀行HP