上田 なんと、いい言葉。
岩尾 最後は国が助けます。
上田 なるほど。けれど助けてもらえることに、甘えているとダメですけどね。これは自戒を込めてですが、当然、小説家も出版社も質のいいものを書いて出版していく必要があります。
岩尾 もちろん、それは前提です。そこに甘えて「文学は偉いんだぞ!」ってドヤ顔で言っているだけではダメですよ(笑)。
文学には社会を変える力がある
岩尾 僕が新人賞の最終候補に残った評論で書いたテーマは「文学は何ができるか」だったんです。その論の発想は、いまから半世紀以上前のサルトルの「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」 (『文学は何ができるか』 サルトル 平井啓之訳 河出書房新社)というノーベル文学賞を辞退した年に行われたインタビューでの有名な言葉からです。当時、そこから「文学は社会に必要か否か?」という論争が起こったんだけど、この問いにいまどう答えられるかな? と僕は思ったんですよ。というのも、いまだに「文学なんて儲かりもしないし、役に立たないじゃないか」みたいな話はあるでしょう。そこから、さらに「大学なんて職業訓練学校でいい」とか、「大学の文学部はいらない」というところにまで発展している。特に経営者や経済学者なんかにそういうマインドの人が多い。でも、経営経済の論理を突き詰めれば突き詰めるほど、文学は社会に必要なんだということを、その論で書いたんです。
たとえば、文学は、虐殺やブラック企業などによる暴力や権力で消されてしまうデータやロジックを回復することができる。消されてしまった声やロジックを小説であれば架空の物語(フィクション)にして読者に提示できる。小説にすることで、迫害されて消されかけた人の感情を残すことができるんです。
もう一つは、さっき言ったように、いま、〝注目〟の配分をみんなが奪い合っているけど、そもそもこの〝注目〟している自分たちっておかしいんじゃないの? と問題提起して〝注目〟の配分を変えることができるのは文学なんですよ。有名な例で言えば、スターバックスのストローがプラスチックから紙に変わったのは、ストローがウミガメの鼻に刺さっている動画がきっかけなんです。動画ではあるけど、これはそれを見た人がそこに至るまでの文脈、ある種の物語を作ったんですよ。この物語が多くの人に共有されて、ウミガメが可愛そうだ、環境に配慮しようという気運が高まってストローが紙に変わった。スターバックスは世界でも屈指のマーケティングをしている企業ですよ。それでも、ある種の物語の力に従わざるを得なかった。物語や文学はやっぱり社会を変える力があるんですよ。
上田 おっしゃる通りですね。あと、文学、小説は一人でできるのが強みです。漫画やアニメのようにアシスタントが必要なわけでもなく、映画のように俳優やスタッフの力もいらない。コストをかけずに、色々とチャレンジできるのは強みかなと思う。
岩尾 それとやっぱり、映画やドラマなどのうち、もっとも主観性を取り戻すのに有効なのは、文字で書かれた表現だと思うんですね。三島由紀夫が『文章読本』(中公文庫)で、映画に対する小説の優越性を映画監督に力説したと書いていました。三島がどうやって、力説したかというと、映画で美女を出したいんだけど、美女の定義は人それぞれなんだと。「如何に映画会社が美人だと宣伝しても、それは美人でないと思う頑固な観客を避け得ない」と。それで映画では色んなタイプの女性を出さないといけないんだと。でも、三島は小説だと「『彼女はローマ第一の美人であった』と書いてあるだけで読者は納得」するじゃないかと言ったそうです。小説は読者の主観にまかせて、想像力を刺激すればいいだけなので映画より有利なんだと。
上田 そこが小説の最大の強みでしょうね。それに加えて、言葉は自分の意識とか思考にもっとも近くて、知的活動の中で一番プリミティブな形で表せるのがいいんですよ。
岩尾 いま経営学でも、プリミティブなものの見直しの動きがあります。野中郁次郎先生という世界的に有名な経営学者がいます。野中先生が数年前に、『野性の経営』(川田英樹・川田弓子共著 KADOKAWA)という本を出されたんです。その本の中で何が書かれているかというと、経営には野性の力が必要だということなんです。最近は、オーバープランニング、オーバーアナリシス、オーバーコンプライアンスで、経営がおかしくなっていると。端的に言えば、経営が〝客観〟をあまりに重要視し過ぎた結果、変なことになっていないかと。ただそこから先が、それを捨てて〝野性の勘を取り戻せ〟になるんだけど……。
上田 さすがにいまの時代に、経営でコンプライアンス無視はできないですしね。
岩尾 そうなんです。ただ、この野中先生の言っていることに有名経営者はすごく納得しているんですよ。具体的にどうやって野性を取り戻すかは書かれてないんだけど、僕はそれこそ野性を〝文学のプリミティブな力〟と言い換えてもいいんじゃないかと思います。
上田 そこに被せると、小説は言葉という極めてプリミティブなものを使って、どれだけ新しいことができるかも重要だと思います。「ノベル」には「新しい」という意味もありますし、新しい方法や新しい見方を与えてくれるものが小説には求められているんじゃないかと。僕もそこを意識して経営のほうにも刺激を与えるような作品を書いていきたいと思います。