新作『関係のないこと』(新潮社)でコロナ禍を経ての社会の空気感を捉えた芥川賞作家の上田岳弘さん。批評家2人の歩みを辿りながら、戦後史を振り返る著書『江藤淳と加藤典洋』(文藝春秋)が話題の評論家、與那覇潤さん。
初対面となった同年生まれの両者が共通して描いているものとは? コロナ禍で変わってしまったこととは? AIブームはいつまで続くのか? 多岐にわたるテーマでお話しいただいた。
與那覇潤さん(左)上田岳弘さん(右)
90年代はアナーキーで明るかった?
上田 與那覇さんは僕と同じ1979年生まれなんですね。
與那覇 そうなんです。
上田 著作を拝読して、僕らが書いている共通項を探れば、「歴史の終わり」の感覚です。歴史であり言ってみれば「大きな物語」が終わったところから思考してものを書いている感覚というのか。そこは読んでいて同世代だなと感じたところでした。
與那覇 デビュー作の「太陽」はじめ、上田さんの初期作品にはまさに「すべての答えが出た後に、人はどう生きるか」という問いを強く感じます。
上田 僕ら冷戦が終わった頃に少年期を過ごして、思春期に当たる時代が90年代ですよね。そこも影響してるのかなと。95年には阪神・淡路大震災やオウム事件があって、世界の終末が来るぞという事件が多かった。99年には「ノストラダムスの大予言」が話題になったりした。
與那覇 ありましたね、懐かしい(笑)。冷戦が終わる89年に論文「歴史の終わり?」を書いたフランシス・フクヤマも、学者なのに長らく予言者のような扱いでした。同年は、日本で元号が変わった年でもあります。
上田 昭和が終わった年ですね。
與那覇 ええ。歴史、すなわち重要なことは「もう全部終わっちゃった」という雰囲気で始まったのが90年代でした。逆にそのことが、奇妙な明るさを生んでいた。
上田 明るくてどこかアナーキーな感じがあった気がします。
與那覇 でしたよね。前半に、いまならパパ活と呼ばれる援助交際が社会問題になっても、「自分の責任でやるなら別にいいでしょ」と擁護する宮台真司さんが人気になったり。一方で後半にかけてオウム事件や、神戸の「少年A」事件(97年)が起こり、なんでもありだと「どこまで行くかわからず、怖くないか?」という空気が出てきます。新しい政党が次々に結成され、未来を切り開くぞといった展望も、同じ時期に行き詰まってゆく(拙著『平成史』(文藝春秋)で詳論しました)。
上田 その明るい未来を見ていた90年代の延長上で、2000年代はインターネットの発展がトピックになったと思うんですよ。すべてとはいかないかもしれないけど、多くの問題をネットが解決していくという未来を素朴に信じる空気感が2000年代の半ばまではあった。そのあとも、スマホの普及もありネットにつながるのが当たり前になって、誰もが自由に発言できる時代が来た。最初はこの事態もすごくポジティブに語っていたけど、いまはそれがどうなのか。Aと言う人がいて、反Aを言う人がいると、議論するのではなくて、お互い罵りあって2つが相殺されて虚無感だけが残るのが現状なのではないか。僕はデビューが2013年なんですが、その頃から、そういう虚無感みたいなものが来ることを予想しながら、デビュー作の「太陽」や次の「惑星」(『太陽・惑星』)、『私の恋人』(いずれも新潮文庫)という作品あたりまで書き継いでいった感じがします。
與那覇 「太陽」や「惑星」には、歴史のすべてを見通せる「超人」のような人物が出てくる。でも、彼らの人生はちっとも楽しそうに見えず、すべてを「わかってる」がゆえの息苦しさしか残らない。僕は2013年にはまだ大学で歴史学者をしていましたが、その頃の自分が鬱になってゆく感じとシンクロして今回、切実に読めました。当時はアラブの春とか、日本だと脱原発デモがあったりして、冷戦が終わるときのハッピーな感じが一瞬甦ったけど、まさに歴史の宿命ですぐに潰れてゆく時期でしたから。
とりわけ『私の恋人』には、批評家のベンヤミンに通じるものをすごく感じましたが、これは……。
上田 『私の恋人』の本の表紙、パウル・クレーの絵画作品「新しい天使」のことですよね。この絵にベンヤミンが言及した「歴史の概念について」という論文があるんですよね。
與那覇 単行本と文庫本の表紙がどちらもその絵でしたので、てっきりモチーフにされたのかなと。もし「歴史のすべてを見通せる場所」に人が立てたとしても、それは人類の軌跡がみな無価値なガラクタに見えてしまうだけのことで。でもそのガラクタの断片に、思いを込めて生きるのもまた人間ではないか? そのメッセージが、ベンヤミンの歴史感覚とも共鳴するように思えました。
上田 歴史や世界中のことをすべて見通せてしまうという感覚は、インターネットの発展によって誰もが抱きやすくなったのかなと思います。そういう感覚が一般化するなかで、いま読まれるべき小説は何かという問題意識がデビュー直後にはありましたね。それが期せずしてベンヤミンのビジョンと重なったんでしょうね。