コロナ禍で露呈した問題
上田 全体の大きな流れに個で抗うのが難しい時代だと思う一方で、小説も抵抗になりうるかもしれないし、僕としては、ひとりの意志の強い人が世の中を動かす可能性がまだあるのではないかとも思うんですよ。戦争はなくならないよね、と世界中が諦念にあるなかで、グレタさんが船団を組んでガザに行く。または、環境破壊はよくないよねと誰もが考える中、イーロン・マスクが火星に移住する計画を立てる。僕は彼女や彼らに特別にロマンを見ているわけでも批判するわけでもないんだけど、何か個人が世界の特異点となって歴史を変えうるケースがあるんじゃないかと注目しているんです。
與那覇 「歴史の趨勢」は客観的な法則というよりも、むしろ「ヘンなやつ」の個性が特異点になることで生まれると。なんといっても、わかりやすいのはドナルド・トランプ。
上田 そうかもしれませんね。特に1回目の大統領就任は世界中に相当なインパクトを与えました。
與那覇 僕が完全な鬱になり、仕事ができなくなるのが2014年なんです。当時は日本も世界も「どうせこのままだろ。先が見えた」みたいな感じがあって、それも心身の調子を崩す一因だったと思います。
なので16年のトランプ当選では、逆に元気が出たんですよ(笑)。彼を支持するという意味ではなくて、「こんなことが起き得るんだ!」と衝撃を受けた。日本の大学教員がエラソーに持ち上げてきた、全米のエリート大学がみんなお通夜みたいな空気だと聞いて、実に楽しかったですね。
上田 トランプに救われたんですね(笑)。
與那覇 ええ、彼には感謝しています(笑)。やっと世界に「考えるべき出来事」が起きてくれたという興奮ですね。「もうわかってるよ」じゃなくて。
上田 それはアメリカの出来事ですけど、他方で日本でもトランプ現象と比されるのが、今年の参議院選挙での参政党の躍進ですね。日本も国粋的な空気が強まっているとも言われますが、どう見てますか?
與那覇 僕はコロナ禍ですっかり、大学の先生をはじめとする「日本のリベラル派」に失望しました。だから「立憲共産党」と揶揄されるタイプの、既存の野党が衰退していくのは自業自得としか思えなくて。
リベラルを称する学者はいま、トランプやヨーロッパでの極右の台頭、その日本版としての参政党ブームは、歴史の「バグ」なんだと。そう強弁することに命を懸けています(笑)。あんなものは一過性で、長続きせず、俺たち知性のプロが「修正」(デバッグ)すれば社会は元に戻ると。そんな思い上がりには違和感しかないですね。
上田 なぜ、そういう現象が起こっているかの理由にはいかないんですよね。
與那覇 昔の同業者として共感的に語ると、たぶん彼らの主観ではいま、大学に〝籠城〟しているつもりなんですよ。世の中はもう、学者じゃなくインフルエンサーしか求めてない。本もネットも「売れれば中身は問わない」の愚民社会の襲来に対して、徹底抗戦だ! という感じなのでしょう。
問題はそれが、大学という〝砦〟の中だけの抗戦でしかないこと。そしてなにより、やるならコロナ禍のときに戦わなきゃダメだと思うんですよね。
上田 コロナ禍での抗戦というのは、具体的にどういうことですか?
與那覇 コロナ禍での政府の方針は、感染症の専門家の意見に偏り、人との接触を規制して「感染しないこと」をすべてに優先するという姿勢でした。でも、大学は医学だけじゃなく、色んな学問の専門家がいる場所のはずでしょう。
政府の採った対策を、たとえば憲法学、経済学、歴史学の視点で見た場合、感染の抑止以上に大事な「別の問題」は出てこないのか? 哲学や倫理学で考えたとき、「自分が感染したくないから、他人の行動を規制する」ことを正当化できるリミットはどこまでか? そうした議論を重ねていれば、それぞれの大学が独自の対策や、日常に復帰するプランを出せたはずですよね。政府の方針とは別に。
上田 確かに、リモート授業をいつ終わらせるかなどは大学ごとに決められたはずですね。
與那覇 ええ、それこそが「学問の自由」であり、大学の自治です。あのとき世論におもねり、政府にヘコヘコしていた面々が、いまさら大学の内側から参政党をディスって「世の中に抗う」ポーズとは片腹痛い(笑)。
上田 大学もそうだし、高校生活丸々3年間ダメになった学生さんたちもいたわけですね。それこそ一回性の特別な時間を失った。
與那覇 まさにそうです。一生ものの体験になるはずだった、修学旅行も学園祭も部活も(大学ならコンパも)ない。それへの批判すら許さない学生生活を強要しておいて、いまだに参政党より大学教授が支持されると思うほうが、よほど知性が劣化している。
上田 特に人文系の学問は、いつも存在意義を問われるじゃないですか。だから、大学の先生たちは、コロナのときの「不要不急」という言葉に対してもっと異論を唱えたりできたと思いますけどね。
與那覇 人文系の学問こそ「不要不急」の典型ですから(笑)。なんで君らが、それを叩く側に乗ってんのと。怒りを通り越して、呆れていました。
上田 何をもって「要」で、何を持って「急」なのか。それを判断するのは誰なのか。政府が決めるものなのか。論点はいくつもありましたね。
與那覇 おっしゃるとおりです。本当の意味での多様性とは、何が「要」で何が「急」かを、それぞれの個人が決められるということです。多様性と個の自立とは切り離せないのに、コロナ禍では「自分で決める自信がない」から、政府にルールを示してもらって従う形になってしまった。
多様性についてはコロナ後も同じ現象が続いていて、このガイドラインを守れば「ダイバーシティに貢献している組織」と呼ばれますよと。それは自分の頭で考えることなく、単に「意識高いバッジ」が欲しいだけでしょう(笑)。自分の舌より食べログの点数で、店を選ぶ空気と変わりません。