
ガルシア=マルケスの写真(カルタヘナの自宅で) 撮影:篠田有史
カルタヘナ空港で篠田・工藤ペアと別れ、秘書と一緒にメキシコシティに向かう。車椅子だとあまり自由がきかないので、搭乗時間になるまでゲートに近い席でひたすら待つことにした。外では大雨が降りだしたことが屋根を打つティンパニさながらの大音響でわかった。さぞかし大粒の雨なのだろう。やはり今は雨季なのだ。隣の席で年配の女性がじっと読んでいたのはガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』の英語版だった。この女性は主人公の一人で老年を迎えたフェルミナ・ダーサと同じくらいの年恰好に見えるから、それで共感できるのかもしれない。きっと小説の舞台を知りたくてカルタヘナを訪れていたのだろうと勝手に想像する。あの海辺の街は今や人気のリゾートになっているという。マイアミ行きのフライトの案内が始まると、彼女はやおら立ち上がった。
『コレラの時代の愛』は、私生児の青年フロレンティーノ・アリーサが美しいフェルミナ・ダーサに一目惚れする。ところが、娘を玉の輿に乗せたい父親が二人の仲を引き裂く。やがてフェルミナはエリート医師と結婚するが、フロレンティーノはめげず彼女を思い続ける。そして彼が恋を成就させるのは、51年9か月と4日の後という、気の遠くなるような物語だ。
これは映画化されていて、ガルシア=マルケスもファンだというコロンビア人歌手のシャキーラが「アイ・アモーレス」などの挿入歌を歌っている。2024年日本で起こった『百年の孤独』文庫化によるブームのさなか、ラジオ番組に出演したとき、この曲を掛けてもらった。
フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」は2019年に日本でも公開された。200分を超える長尺のこの映画を今はなき神保町の岩波ホールに観に行った。映画の中盤、『コレラの時代の愛』を課題図書とした読書会が図書館で開かれるシーンがあり、妙に集中して観たことを覚えている。読書会の参加者たちが様々な感想を述べ合うのだが、まずファシリテーターが、マジックリアリズムの特徴を、幻想を日常の一部として描くものと定義する。さらに『コレラの時代の愛』は『ハックルベリー・フィンの冒険』くらい誰もが知っている名作だと発言したうえで、参加者に感想を促す。参加者のひとりは、タイトルは「コレラの時代の愛(love)」というより「コレラの時代の愛撫(love making)」じゃないかとか、男はフェルミナの幻想に恋をしていた、つまり「恋とは何か」というのがテーマだとか、良い小説は冒頭を読むとわかるといった意見を述べる。ちなみに、この小説の冒頭を訳してみるとこうなる。「やはりこうなるほかなかったのだ。ビターアーモンドの香りは、きまって、困難な恋の行く末を彼に想い出させた」。

カリブの最後の夜に聴いたバジェナート 撮影:篠田有史
雨は、相変わらず空港ターミナルビルの屋根を激しく打ちつけている。カリブを離れる者への別れを惜しむ名残の雨だろうかなどと、この地で出会った心優しい人々のことを思い出しながら感傷に耽る。
本物の黄色い蝶にはとうとう出会わなかった。出会うためには、花々が咲く春にもう一度来なければならないようだ。
ひとたび離陸すると、飛行機は4時間15分でメキシコシティに到着した。往きにも滞在したホテルに向かう。セントロでもポランコでもなく、サン・アンヘル地区のホテルにしたのは、UNAM(メキシコ国立自治大学)にほど近いガルシア=マルケスの自宅を訪ねることになっていたし、そのあたりは以前滞在したこともあり、おぼろげだが土地勘が働くという理由からだ。残された時間は30時間になってしまったが、体力も残っている。有意義に過ごそう。
カルタヘナでできた新たな友人のおかげで、メキシコシティにあるガボの新旧二つの家を訪ねることができた。まず、〈『百年の孤独』執筆の家〉だが、これはガルシア=マルケスが『百年の孤独』を完成させた家だ。案内してくれたのはメキシコ文学財団のエグゼクティブ・コーディネーターで作家のヘネイ・ベルトラン・フェニックスである。

『百年の孤独』を執筆した家 撮影:篠田有史