〝意識高い系〟の若者は明治から?
真幸 日本の近代化は西洋化だったんですよね。江戸時代であれば、それぞれ身分のなかで町人なら町人の生き方みたいなものがはっきりしていた。家や村とかのことだけを考えていればよかったのに、明治維新で急に「この世界は何?」となって、「教養」や「修養」が必要とされた。急いで外国の学問も吸収しようとした。『修養』という、そのものずばりのタイトルの著書もある新渡戸稲造は、外国から入ってきたキリスト教の教えを、元々日本に根付いていた思想に「接木(つぎき)」したのだと、絢子さんの本では指摘されていますね。ただ、僕は新渡戸自身には、はっきりとしたエリート意識みたいなものはなかったと思う。
絢子 新渡戸自身は、エリートに向けた「教養」と、エリートではない大衆に向けた「修養」をはっきり分けていたわけではありません。本でも触れたのですが、新渡戸の教え子で、のちに文部政務次官になった東郷実のエピソードが興味深いです。新渡戸は『実業之日本』という雑誌に頻繁に修養に関する文章を寄稿していましたが、この雑誌は工場の読書室なんかに置かれていて、おもな読者層としては学歴が高いとは言えないノン・エリートでした。それもあって東郷は、「先生があんな大衆雑誌に書くのは面白くない」と新渡戸に苦言を呈しています。新渡戸の薫陶を受けた学生たちには、〝大衆と僕らは違うんだ〟という意識が生まれていたのです。
問題は、新渡戸がなぜ明治末に『実業之日本』で修養を語り出したかなんです。明治35年(1902年)に『成功』という雑誌が創刊されています。夏目漱石の『門』にも出てくる雑誌です。この雑誌は、スマイルズに大きな影響を受けたアメリカの著述家、オリソン・スウェット・マーデンが手がけた『SUCCESS』という雑誌にヒントを得ていて、金銭的な〝成功〟いわゆる〝アメリカンドリーム〟をつかんだ富豪のエピソードなどが紹介されています。これが日露戦争前後の日本でよく読まれたんですね。おもな読者層は、学歴による立身出世が望めないなかで上昇欲求を抱えた働く若者でした。「学歴はないけれど、成功者になりたい」という彼らの意欲を背景に、明治末に〝成功ブーム〟が起こっています。『実業之日本』でも「成功」を謳う記事や特集号がたいへんな人気となりました。
真幸 新渡戸が書いていた頃から、現在の〝意識高い系〟のような若者がいた(笑)。
絢子 新渡戸は、この風潮がよくないと思っていました。「修養」は金銭的・社会的な成功に直結するわけじゃないと。その前に、日常生活や生き方を見つめ直すことが大事だということを『実業之日本』で書いているんですね。職場での目上の人との付き合い方だったり、休暇の過ごし方、いつもニコニコしていなさいとか、読書の方法を指南していたりと、彼の修養論はいまのハウツー本とそんなに変わりません。日常的なエピソードが多く盛り込まれていて、エリート知識人が書いたとは思えないような親しみやすい内容です。
真幸 新渡戸ぐらいの世代までは、やっぱり江戸時代の「教養」をよく知っているんですよね。そのあとの、江戸時代の文化・規範などを知らない世代は、真っ新な状態から学ぶしかない。必死に横のものを縦に翻訳して本を読んできた。そうしていると、大正時代以降から、外国の思想にかぶれて「素朴な日本の道徳心じゃダメなんだ」と言う若者が出てくる。さらに時代が進むと、よく内容がわからないのに「カントの定言命法によれば~」みたいに話す若者が出てくる(笑)。
絢子 新渡戸は当時のエリートが行く一高(第一高等学校)の校長でしたが、そこで新渡戸の薫陶を受けた和辻哲郎や、阿部次郎、安倍能成たちが「文化人」「教養人」として読むべき書や身につけるべき知を積み上げていき、それが「大正教養主義」につながってくるんですね。
真幸 考えてみたいのがそのあとです。それだけ、エリートが外国のものを取り入れて「教養」を築いていくのに、昭和の始まりに天皇制を奉ずる超国家主義のイデオロギーが出てくる。それを主導したのもエリートですよ。
さっき吉本の話をしたので、思い出したんだけど、吉本が最初に出した作家論でもある『高村光太郎』(1957年)に印象的な場面が描かれていて、これは僕も実感としてよくわかる。吉本は、高村光太郎がフランスに留学したときの日記に注目する。その中身は、高村がパリに滞在していたときに、そこで知り合ったフランス人の女性とデートの約束をする。「ネアン」というカッコいいカフェで会うことになった(笑)。そのカフェで女性と会おうとするときに、日本にいるお父さんから手紙が届いた。お父さんというのは、彫刻家の高村光雲ですね。光雲もエリートなんだけど、光太郎からすると江戸の職人みたいなイメージがあるんです。だから、光太郎には光雲を超えて、西洋の大芸術家になりたいみたいな野心があった。手紙には、息子を心配した内容が書かれている。「身体を大切にしなさい」みたいなね。それを読んだ光太郎は落ち込む。なんか日本にいる白髪のお父さんの顔が浮かんできちゃう。それで、デートする気持ちが萎えちゃって、急いで彼女にキャンセルの電報を打つエピソードを紹介しているんです。光太郎からしたら、パリにいて、一流の芸術家のつもりでいたのに(笑)。
絢子 せっかく、パリまで来たのに日本を思い出しちゃったんですね(笑)。
真幸 そうなんですよ。光太郎はやっぱりパリの人になれないということに気づく。その留学のあと、光太郎は日中戦争をきっかけに、「日本はすごいんだ」みたいなイデオロギーに染まって戦争に積極的に協力していくんです。
絢子 西洋の「教養」と日本の「教養」は、圧倒的に違いますよね。洗練さや文化的基盤の上に成り立っている西洋の教養に対し、日本の教養というのは、一生懸命、西洋の翻訳書を読む、「読むべき書」とされる岩波文庫を読むみたいに、努力による習得といった「修養」に近い部分がありますね。苦労して身に着けるものという感じです。だから、田舎から上京してきて一生懸命がんばって教養人になっても、やっぱり田舎のお父さんから手紙が来たら、高村光太郎のようについ、そちらに意識が向いてしまうというか……。
真幸 高村光太郎ですらそうなんだからね。
筒井清忠
つつい・きよただ 1948年大分県生まれ。社会学者。著書に『日本型「教養」の運命―歴史社会学的考察』などがある。
竹内洋
たけうち・よう 1942年東京生まれ。社会学者。著書に『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』などがある。
ピエール・ブルデュー
フランスの社会学者(1930年~2002年)。著書に『ディスタンクシオン――社会的判断力批判』などがある。