でも逮捕されて、タマラの刑務所(首都郊外にあった、当時、国内最大の刑務所)で服役中に心を入れ替え、エルネストの助けで出所してから、JHA-JAで働くようになりました。そんな彼との生活が、私を変えました」
たとえ過去はどんなに凶悪なギャングだったとしても、悔い改め、本当の意味で人の役に立つ人間になることは可能だ。ホベルはそれを身をもって示す活動をしていた。ジェシカと知り合う3年ほど前の2004年5月、サン・ペドロ・スーラ刑務所の火事でM-18のメンバーが大勢犠牲になった際には、遺族を集めて死者の身元確認を行い、葬儀の準備まで請け負った。その取り組みが評価され、彼はM-18を抜けることを組織から正式に認められる。
「だからこそ、元MS-13の私と元M-18 の彼が、公に付き合えたんです」
そう言うジェシカは、どこか誇らしげだった。
ホベルはその後、JHA-JAが始めたタトゥーを消すサービスを利用して「M-18」の痕跡を消し去り、エルネストとともに、若き活動家として海外へも講演に出かけるようになる。中米の貧困層の子どもや若者が置かれている状況を世界に知らせ、状況を変えるための支援を訴える活動だった。国内でも、元マラスメンバーの若者たちを率いて、マラスを武力で弾圧する政府に対する抗議活動を続けた。ジェシカは子育てをしながら、そんな恋人に寄り添い、支える。
「彼のおかげで、私もようやく自分を大切にできるようになりました。彼とは一生、ともに過ごしたい。仲良く歳をとっていきたい。そう思っていたんです。でも……」
2013年4月、その夢は不意に絶たれる。ホベルが殺されたのだ。まだ31歳だった。
実行犯は、11歳の見知らぬ少年二人。だが、その背後にいる主犯は誰なのか、わからなかった。ギャング時代に関わった者による復讐か、あるいは彼の社会的活動を胡散臭く思っていた当局の人間の命令か。真相は闇の中だ。
この事件が、ジェシカを絶望へと突き落とす。
「ホベルとの二人目の子が生まれて、まだ11日目のことでした。私は、3人の息子を抱えてどう生きていけばいいのか、わからなくなってしまいました。ホベルの存在が大きすぎたんです」
打ちひしがれているジェシカに、エルネストとジェニファーは、即刻、国外へ避難することを勧める。ホベル殺害を命じた真犯人が誰かわからない限り、ターゲットが彼だけなのか、その家族も含まれているのか、判断できなかったからだ。ジェシカと子どもたちの安全を確保するために、JHA-JAは費用を負担し、母子を中米パナマへと脱出させる。
「(首都)パナマシティで暮らし始めた私は、ホベルを失ったショックを乗り越えることができず、ヤケになって、子どもを放ったらかしにしてはカジノに行ったり、麻薬をやったりしていました。いっそ死ねたらいいのに、とすら思いました」
荒れた生活を2年続けた後、故郷へ戻るが、それでもなお立ち直れなかった。
「暴力が支配する国で、女一人で子どもをまともに育てるのは、とても難しいんです」
すでに9歳になろうとしていた長男のダニエルは、住んでいる地域にいるMS-13に興味を持ち始め、母親を悩ませた。まだ幼い三男は、生まれつき心臓に問題を抱えていた。息子たちを心身ともに健康な状態でまともな人生へと導くには、頼れる夫の助けが必要だった。その存在を失った彼女は、本気で死を考えるようになる。
「わざとMS-13のタトゥーが見える格好で、M-18の支配地域を歩いたりしました。誰か私を殺して! と心で叫びながら。すると2017年、遂に撃たれました」
銃弾が肺に近い場所に命中し、ジェシカは1カ月ほど、意識不明の状態に陥る。しかし、それでも彼女は生き延びた。
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コネーハの夢
「今は神の教えに従い、子どもたちと前を向いて歩いていこうと決めています」
現在、JHA-JAの活動を手伝っているジェシカは、ジェニファーに話し相手になってもらうことで心を癒やしながら、ホベルが残してくれたものと自分の役割について、考え直している。
「暴力に満ちた世界で生きてきた女、母親として、私ができるのは、これ以上、子どもや若者たちが暴力に関わることを許さないこと、ギャングを生み出さないことだと思います」
幾度もの危険と苦しみ、悲しみを乗り越え、ようやく踏み出した希望への道を、彼女はまっすぐに進もうと努力している。まずは自分自身の子育てをきちんとすることからだ。
「先日、ダニエルがお菓子を手に帰ってきました。『それ、どうしたの?』と尋ねると、『ホーミー(マラスのリーダー)にもらったんだ』と言います。私はすぐに息子を連れて、そのホーミーのところへ行き、『こういうことはしないでください』と伝えました」
人生経験豊かな母親は、ホーミーの思惑を見通していた。