メキシコシティの路上へ
「5歳くらいの時、(彼を殴った、一番下の弟の父親である)義理の父さんに連れられて、この街に来た。何か仕事のために来たらしかったけど、ここに着くなり、ボクは見知らぬ人たちの家に置いてけぼりにされたんだ」
義父はそれっきり、二度とカルロスの前に現れなかったという。そして少年は、その見知らぬ人の家でいろいろな手伝いをさせられる日々を送ることになる。母親から遠く離れた場所で冷たい大人ばかりに囲まれて過ごす時間は、少年を追い詰め、遂にその家を飛び出す決意を引き出した。
そうして逃げた先こそが、「路上」。そこにはすでに、彼と似たような事情を抱えて家出をしてきた少年少女が、集団でサバイバルしていた。おかげで、新参者のカルロスも、すぐに路上で生きていく術を身につけることができたわけだ。
「大きい子たちが、世話を焼いてくれて、困ることはなかったから」
そんな経緯を、知り合って7年ほど経った頃になって、ようやく知ることができた。
この日のカルロスは、いつになくおしゃべりだった。動物園に入ってからも、目にする動物たちに話しかけたり、「これに似たのを、砂漠で見たことがある」などと言ったり。動物園を出て、ねぐらのある街中の広場へ帰る途中の地下鉄車内でも、思い出話は続いた。
「あ、この曲、母さんが大好きなやつだ」
乗客の間を歩きながら海賊版CDを売り歩く男性がポータブルプレイヤーでかけている歌を耳にし、そうつぶやく。
「母さんの誕生日に、この曲が入ったカセットテープをプレゼントしたんだよ」
その瞬間を思い出しているかのような優しい眼差しをこちらに向けた後、少年は車両扉のガラスに映る自分の影を見つめていた。
この日から、少年との会話に時折、「母さん」が登場するようになった。別の日には、自分がそばにいないことで母親が苦労していないかと、心配する素振りを見せた。
「母さんももうそんなに若くはないから、本当はボクの助けが必要なんだ」
「それなら、いっそのこと、家に戻ってみたら?」
そう問うと、今すぐ家へ戻っても母親の役に立てる自信がないと言い、
「ボクがちゃんと仕事を持って、自立してからでないと――」
と、焦りと願望の入り混じる言葉を絞り出した。

ねぐらとしている広場の近くの露天商の子どもと遊ぶカルロス 撮影:篠田有史
「ボクの映画」
本当は自分の家へ、母親のもとへ帰りたいという想い。それはまるで「叶わぬ恋」のように、カルロスの心の奥深くに留まり続けていた。
17歳の誕生日。その日は篠田が別の用事で来られなかったので、昼過ぎに私1人、カルロスがいる広場に到着した。バースデーボーイと合流したところでいつも通り、そこから一番近い映画館へと歩く。
徒歩12~13分のところにある大きな映画館。その入り口の壁には、上映中の映画数本の大きなポスターが並んでいた。カルロスはほとんど迷わずに、「これが観たい」と、ひとつの作品を指さした。
ティム・バートン監督の「チャーリーとチョコレート工場」。
「これはボクの映画だから」
そう私に微笑みかける。確かに「チャーリー」という名前は、スペイン語にすると「カルロス」。だから「ボクの映画」と言ったのだろう。
そんなことを考えながら、私はさっそくチケットを買い、やや薄汚れた服の路上少年が映画館職員に入場拒否されないよう、カルロスと腕を組んで映画館に入り、いつものように一番前の列の席に着いた。
映画は、「ウォンカ」という世界的な人気を誇るチョコレートに5枚だけ隠されたチケットを引き当てた子ども5人が、社長のウォンカにチョコレート工場へ招待され、様々な冒険に遭遇する物語だ。それは工場の後継者を選ぶために仕掛けられたゲームなのだが、すべての難関をクリアしたのは、極貧家庭に生まれ育ったチャーリー少年だった。そして、ウォンカは彼に賞品として、家族と離れて自分と生活するならば次期社長に任命すると告げる。ところがチャーリーは、その賞品を辞退。大金持ちの社長になることよりも、貧しいけれど両親と祖父母、皆で仲良く暮らす、あたたかい家庭を選んだ——。
上映終了後、わが「路上暮らしのチャーリー」は、満足げな表情で映画館の外へ出ると、高地の強く明るい日差しの下で、感慨深げにこう漏らした。
「やっぱりボクの映画だった」
つまり、主人公の名前が自分と同じというだけの話じゃないということだろうか。
翌日、今度は篠田が1人で、再びカルロスを同じ映画館へと誘った。その日の午後、カルロスとの映画鑑賞から戻ってきた篠田に、「今日は何を観たの?」と尋ねると、「チャーリーとチョコレート工場だよ」と言う。
「え!? それ、昨日もう観たけど……」
と、戸惑う私に、
「うん、そう聞いてたから、ボクもカルロスに言ったんだけど、カルロスは観てないって言い張ってさ」
と、篠田。結局カルロスは、そのままもう一度、同じ映画を観た。そして再び、こう言ったという。
「これはボクの映画だ」
この出来事は、私にひとつの確信とも言える思いを抱かせた。

メキシコシティ中心にあるアラメダ中央公園を散歩しながら、筆者に話をするカルロス 撮影:篠田有史