「あたたかい家庭」を求めて
この頃、私たちは、「メキシコシティのストリートチルドレン」に関するドキュメンタリービデオを作る仕事で、道ゆく人たちに、「この街に大勢いる路上暮らしの子どもたちのために、できることは何だと思いますか?」と尋ねるインタビューを行った。比較的裕福な人たちが暮らす地域でこの質問を投げかけると、大抵の人が、「子どもたちのために、ちゃんとした設備の整った保護施設を数多く用意することでしょう」と、答えた。そういう施設は、NGOによってすでに複数用意されていると伝えると、相手は「じゃあなぜあの子たちは、きれいな部屋やおいしい食事が提供される施設に入らないのですか?」と、不思議がった。
日本人でも、路上暮らしの子どもたちを施設に保護してもなかなか定着しないという事実を知ると、それと似たような反応をする人が多い。どこの国であれ、必要なことはほとんど何でもお金で解決できると考え、生活してきた人間は、子どもたちが路上にいるのは、家族がいないか、単に家庭が貧乏だからだと思っている場合が多いからだろう。カルロスのような子どもが一番必要としているものが何なのかを、社会が理解しない限り、真の問題解決への道は開かれない。私たちは、そう思わざるを得なかった。

筆者(左端)や路上の仲間たちとともに、篠田のカメラに笑顔を向けるカルロス(右端) 撮影:篠田有史
ただ、ひとつだけ望みはあるような気もした。それは、子どもたちのことを理解できる貧困層の人たち、の存在だ。例えば、私が大学時代のフィールドワーク以来、ずっと付き合い続けているスラムの友人たち。彼らは、貧乏でも、路上の子どもたちの家庭とは異なり、隣人同士が協力して皆で生活を改善していく運動を続けてきた。それだけ家族や仲間とのつながりを大切にし、それが人間にとって、経済的な豊かさ以上に重要なことだと知っているのだ。彼らならば、カルロスの気持ちがわかるに違いない。
そう考えた私は、翌年、メキシコシティに戻ってきた際、スラムの友人たちの中でも最も親しい人間の1人で、住民組織のリーダーとして活躍してきたマヌエルとその妻フアナに、カルロスを家に連れていってもいいかと、尋ねてみた。本当の家族ではなくとも、少年があの「チャーリー」のように「あたたかい家庭」の中で過ごす機会を少しでも増やせたら、と思ったからだ。マヌエルとフアナの返事は、「もちろんいいよ」。
そこで私たちは、翌週、「乗馬」を口実にカルロスを誘って、一家が住むメキシコシティ南西部のスラム地域へと向かうことにした。