やったことのないイベントだったので、どんな風になるか、予測はできなかった。喉が疲弊して、思うように歌えなくなった。体力もだいぶ消耗することがわかった。なので途中から「出勤ドーピング」と銘打って、宿に泊まることにした。近くに老舗のラブホテルがあったので、そこから出勤してみることにした。ひとりでも泊まってよい、と受付の方から言ってもらえたので、夜のライブ後、そこに向かった。鍵を渡され、エレベーターに乗る。そして部屋に入ると壁一面に海の写真が広がった。
ホテルの一室
ようく見ると、岩場に人がいる。けっこう波もあり、危険なのではと思った。これは何のメッセージだろう。「何か燃えてくるものがある、だろ?」そういう投げかけか。今は燃えたくない。逆に静まりたい。電気を消すと、波の音が聞こえてきた。すぐそばでは電車も走っている。これは寝られないだろう。
疲れていて眠ることはできたが、始発の音で、目が覚めた。まだ4時半くらいだった。テレビをつけ、通販番組をぼーっと眺め、コンビニに行き、サラダチキンとバナナとコーヒーを買い、出勤の準備をした。
朝昼夕夜とライブを繰り返していると、季節がゆっくり変わっていくのがわかった。じわりじわりと季節が開いていく感覚、拡がっていく感じ。日中の温度は20度台前半から後半へ。まさに新緑の季節へ、という感じだった。熊が冬眠から目覚めるのはこの季節ではないだろうか。いやもっと前か。
一日中歌っていると、日常の方が歌なんじゃないかと、そんな錯覚にも陥った。でもそれは錯覚なんかではなく、ほんとは「日常は歌」なのだ。「体は季節」なのだ。巡り巡り、年を重ねる。そんなことを考えていると、完璧なライブというよりは、もっと自然なライブを目指したくなった。自分の速度、体が持っているスピードに身を委ねるというか。でもそれは上手くいかなかった。ライブはショーであり、お客さんに楽しんでもらってなんぼ。しっかりと歌を。しかしこの極限状態がもはや見世物なのでは? いや、それは甘えだ。など色々な考えが押し寄せ、毎回変えた曲順の紙には「脱マエケン」の文字が。これを書いた時に、少し楽になった。もはや自分のできることは、ステージに立って、ギターを弾く、曲のコードを鳴らし、歌詞をしっかり、なぞる。だけ。自分だけでライブをやっているわけではないのだ。
歌の中に人がいて、歌の中に店があり、歌の中に風景が広がり、歌の中に命がある。そう、たとえば20曲演奏するとすれば、20の曲たちが、それぞれ、そこにいてくれるのだ。そんな当たり前のことに、今までどうして気づかなかった。丁寧に、じっくり歌を歌った。
毎日はダイナミック