現地責任者の彼からは、戦闘の音で眠れないから覚悟するように、また生活用品は多めに持ってくるようにとの指示もあった。まずそんな場所にたどりつけるのか、という疑問はもちろん感じたが、ここで口に出しても意味がないだろうと思いとどまった。たどりつけなければ、安全な場所で移動のタイミングを見計らいながら待機を続けるまでだ。入ったはいいが出られなくなったらどうしよう、という考えは捨てることにした。安全管理を最重視するMSFのことなので、そんな事態に陥らないようにあらゆる状況分析と対策をしていることは聞くまでもない。頭ではすでに分かっていることだった。
ただ心は正直だ。このブリーフィングでは「怖い」という気持ちが素直に湧いた。2010年にMSFに参加して以来、初めて湧いた感情だった。3年間のオフィス業務、平和な東京での生活が私を変えてしまったのだろうか。ここからは怖さとの闘いになるだろうと思った。ただ、私の心を刺激してきた言葉も彼との会話の中にあった。
「MSFの存在と、活動の継続は、こんな時であっても現地の人々のためにとても重要だ」
ああ、そうだ、と思った。これがMSFの姿だ。私が尊敬し、憧れ続けてきたMSFは未だに変わっていない。私の他に誰か行ける人が見つかれば良いのに、という気持ちをどこかに残したまま、それでも今回は私に回ってきたこの采配を受け入れることにした。
この日、9月に依頼されていた日本ペンクラブ、平和委員会取材のイベントの総合司会を謝罪とともに断った。事情を話したら快く理解してくれた。
●8月9日
上司に呼ばれた。現地の状況があまりにも過酷そうだから、今からでも良く考えなさい、と言ってくれた。彼からは、いったん出発したとしても、道中であっても、現地に到着した時であっても、自分で判断していつでも引き返して大丈夫だから、と言われ、本当にそうしようと思った。気を遣ってくれた上司には感謝したが、それほどまでの場所に行くのだ、という現実も、また重くのしかかってきた。
●8月11日
上司から、私のビザと出発日についての連絡があった。オペレーションセンターと私との間に彼が入り、話を進めてくれている。一刻も早い出発のためには通常のビザ発給を待っている時間はなく、カブール空港で到着ビザ(空港や海港で到着時に取得するビザのこと。アライバル・ビザ)の取得を試みる方向に切り替えたようだ。いずれにせよ、現地からの入国許可証の発行を待つ必要があるが、少しは出発を早めることができる。オペレーションセンターは、私に8月15日に出発してほしいと言っているらしかった。
ただ、上司がここでも私を気遣ってくれた。私の現在の仕事の片づけや荷物の準備、心の準備などを考慮して、17日に延ばしてもらうように伝えようと思っている、それについて私はどう思うかと上司から尋ねられ、その通りで良いと伝えた。
オファー当初は8月25日あたりだろうと思っていた出発は少し早まり、そのぶん早く家族に言わなくてはいけない。この日は、8月18日と20日に入っていた友人との約束をそれぞれキャンセルした。
この期に及んでも、まだ私は行きたくないという気持ちはあった。ただそれは心の奥の奥に自分自身で押しこめた。しかし、家族にまだ報告をしていない焦りも日に日に心を重くする。
誰かに聞いてもらわないと、心が押し潰されてしまいそうだった。そこでアフガニスタンに行くことをMSFの同僚数人に伝えた。あわよくば、不安な気持ちを吐き出せるかもしれないと、ほんの少しだけその気持ちも伝えてみた。
「そんなホットな場所に行くなんてさすが優子さんですね」という反応もあれば、「事務局の仕事も執筆も抱えているあなたが行くことはないでしょう」という心配の声などさまざまだったが、そんな中、少し私の気持ちを楽にしてくれた声もあった。
「優子さん、大丈夫ですよ、なんだかんだ、現地ではどうせみんなで卓球とかやって楽しんでいますって」
この言葉を返してくれた彼とはイエメンで3カ月ほど一緒に働いたことがある。24時間の多くをお互いの仕事場である救急室と手術室で過ごしたが、時間がある時には宿舎内にあったプレイテーブルで卓球を一緒に楽しんだ。彼なりに、私の気を楽にしようと気を遣ってくれたのだろう。彼の言うように、確かにどこの現地に行っても、楽しい時間は今まで必ずあった。ここでやっと少し気が晴れた。
●8月15日
入国ルートと出発日を変更するという連絡があった。カブール空港が混乱しており、カブール行きの全ての商用便がキャンセルになる可能性が高いという。カブール空港で到着ビザを取得するために必要な入国許可証はすでに届いていたが、それはもはや必要なくなってしまった。
新しい指示は、まずは隣国タジキスタンに向かうこと。ビザ申請は済んでおり、出発日の目安は8月21日になると言われた。事務局の仕事を18日まで行い、19~20日は有休を取って出発の準備をしようと思った。
●8月19日
いよいよ家族に伝えなくてはいけない。実は、言わないで出発してしまおうかという考えも何度も頭をよぎった。言わずにすめばどんなに楽だろうか。しかし何度も考えた結果、逃げてはダメだという考えに戻った。この数日前、義理の妹の耳に先に入れておいた。伝える順番を緻密に考えていた訳ではないが、タイミングの問題で偶然そうなった。その後は順番にLINEで一人ひとりに報告した。こんな大事なことをLINEで報告する無礼もないと思うが、とても直接は言えず、それは本当に勘弁してほしかった。
もう行くと決めたので、反対されないように気を配った。予想通りみな初めは驚き、「なんで行くの?」とも言われた。