明日、学校に行く時、どんな気持ちで電車に乗るんだろう? 自分がされたことの意味を理解した時、今日のことをどう思うんだろう?
目の前で性被害に遭っている子どもに、手を差し伸べない人たちばかりだったことが本当に悔しかった。居合わせた男の人たちには、ちゃんと助けて欲しかった。このエッセーを読んでくれた皆さんが、日常の中で「なんかおかしい」と少しでも思った時は、ためらわず子どもに声を掛けて欲しい。もし「痴漢です!」「助けてください!」と言われたら、力を貸して欲しい。
そんなことが当たり前の社会になるために、できることを考えたいと思う。
「過剰」と言われても声を上げ続ける
私はこれまで折にふれて、自分の性暴力やセクハラ、虐待被害などの体験を語ってきた。それ故に、例えば男性の不遜な態度を「マンスプレイニング」などと批判すると、「仁藤さんのこれまでの経験を考えれば、彼女がそう捉えてしまうのも分かる」などと知らない人から言われた。
しかし、被害体験があるから「過剰」な反応をしているというのは間違いである。ハラスメントはハラスメントだ。「過剰では?」などと感じる人はハラスメントや暴力というものに鈍感である可能性が高いので、自身も気付かぬうちに他人を害していたり、ハラスメントに加担してしまったりしている可能性が高い。注意して欲しいと思う。
この日は、私が直接被害に遭った訳ではないけれど、誰も少女を助けようとしなかったという事実が私を傷つけた。かつては少女だった私も泣いていた。そうして、この日のことも、トラウマを抱えた自分の状態も、なかったことにしたくなくて、こんな世の中を、一人ひとりの意識を変えたくて、泣きそうになりながらもこの出来事をSNSに投稿した。
すると私の投稿に対し、「同じ経験をした」「幼い頃被害に遭ったのを思い出した」と、250人以上の人々が共感を伝えてくれた。そうした声を以下にまとめた。
「私も幼いころ、痴漢の被害にあった。そのとき誰も、助けてくれなかった。少女時代に性被害を経験した女性たち(男性も)の#Metoo」① ② ③ ④ (外部サイトに接続します)
3歳、5歳、8歳の時の被害、男性の少年時代の被害や大人になってからの被害、声を上げたのに助けてもらえなかった、助けようとしたけれど周りが動いてくれなかった、という方の声もあった。スーパーで、本屋さんで、公園の砂場で、自宅前で、通学中に、修学旅行先で、校外学習の時に。合宿で同室になったお兄さんから、知り合いのおじさんから、近所の人から、見知らぬ人から、親戚から。電車の中で、地方でも、田舎でも、家族が信じてくれなかった、という声もあった。「何年も前の被害を思い出した」という人もいた。
それだけ性暴力は深い傷を残すのだ。絶望しかけた時、SNSを介してでも、痛みや怒りを共有してくれた人たちがいたことに励まされた。「私だけではない」「分かってくれる人がいる」と思える積み重ねが、「私は大丈夫かもしれない」と思えることにつながった。
しかし今も同じような苦しみを抱え、「自分は一人じゃないんだ」と思えないでいる人はたくさんいるだろう。
子どもたちには身を守るための教育を
性暴力は日常の中、身近にあるものだと知り、気付いて動ける人が増えて欲しい。
今回、女の子を助けたことで私のことを「勇気ある女性」「ヒーロー」と言う人もいるが、私は「性被害に遭っている子どもを守るのは当たり前になって欲しい」と願っている。そして子どもたちには人としての権利があること、何が暴力に当たるのか、もし被害に遭ったらどうしたらいいのかを教えることが大切だ。
子どもたちがいじめ・虐待・体罰・誘拐・痴漢・性暴力など、様々な暴力から自分の心と体を守るための予防教育「CAPプログラム」(外部サイトに接続します)を全幼稚園、保育園、小学校、中学校に導入して欲しい! とこの件を通して強く思った。
ある匿名啓発グループが「ハートネット72」(外部サイトに接続します)というサイトで公開している小~中学生向けリーフレット「大切なあなたへ」では、プライベートゾーン(水着を着ると隠れる部分=自分だけの大切な場所)を守ることについて教えている。
また「Consent for kids」「Consent – it’s as simple as tea」(外部サイトに接続します)という動画(日本語吹替版は函館性暴力被害防止対策協議会が作成)では、性的同意について子どもたちにも分かるように紹介している。ぜひ多くの人にご覧頂きたい。