性を商品化する人の生活を奪うな?
先日、日本で人身取引の被害に遭い、売春を強要された経験を持つタイ人女性たちとイベントに登壇した。彼女たちは当事者でありながら支援グループを作っていて、女子高校生サポートセンターColabo(コラボ)の活動と重なり、出会いに勇気づけられた。イベントでは日本の人身取引の現状、被害者支援や当事者同士のエンパワメントなどについて話した。
その中で私をはじめとする登壇者や来場者からは、日本を中心に広がる女性や子どもをモノ化し性的・暴力的に消費するアニメなどの表現や、JKビジネスやメイドカフェを含む少女の商品化を「萌え文化」などと称する文化としていいのか――などの指摘があった。
が、その意見に対して反論をする男性が会場内にいた。
その男性は20代で(しかもこのイベントにはアルバイトの手伝いスタッフとして参加していた)、「少女をモノ化し性暴力を振るうアダルト漫画を描いて同人誌を販売していた友達が、内容が性を扱う過激なものだったために訴えられ裁判で負けて職を失った。それをなりわいにしている人がいるのに、その人の生活を奪うようなことをするのはいかがなものか?」と、性的搾取の被害者が何人も目の前にいる中で堂々と質問した。
さらに「世の中には自ら進んで性的な対象となり、男性と関わる仕事をしている女の子もいるはずだ。自分にもそういう知人がいる」と主張し、私たち登壇者に向かって「ご自身が嫌な体験をされたからといって、何でもかんでもダメと言って彼女たちの居場所を奪うな」といった意見をぶつけてきた。
彼自身が需要もしくは供給を生み出す立場にあるのかなと感じたが、こういうずれた正義漢のパワーはものすごく強く、自分の言っていることの意味が理解できていないようにも思えて引いてしまう。しかも被害に遭った当時者が体験を語り、イベントで1日かけて現状を共有した後でのことだ。その発言そのものが私を含む性暴力被害サバイバーや、会場にいた女性たちの心に追い打ちをかけたけど、守ってくれる人はいなかった。
自分の加害者性を自覚してない
本連載でも繰り返し指摘しているが、少女を買う権利や、性的にモノ化したり支配したりして楽しむことなど、「誰かの人権を侵害することを権利として主張する」声が今の日本社会ではとても大きいと感じる。こんなことを堂々と言える男性に出会ってしまい、ぐったりしてしまった。正直なところ視界から消えてほしかったけど、この発言の後もコラボの若い女性スタッフらに笑顔で話しかけてきて、本当にどうしていいか対処に困った。
私は登壇者で別室にいたため、彼に近付く機会はあまりなかったのだが、イベント開始前に関係者たちと挨拶をする時に会話や様子から違和感を感じた。なので私は彼は避けて名刺も渡さなかった。後から聞いたらコラボとつながる女性たちも、会場で彼がなれなれしく接してきたり、つまらない自慢話をしてきたりしたことに不信感や嫌悪感を抱いていたようだった。
登壇中に彼の主張に反論したためか、イベント終了後、彼は私には声をかけてこなかった。でも彼に対して「きもい」「怖い」「無理」「許せない」と思いつつ態度に出さず、いや出せずにいたスタッフや10代、20代の女性たちには、相変わらず自分の加害者性を自覚せずに声をかけていた。
そういう時、イベントの主催者や周りにいる大人や男性たちは気付いてくれないことが多い。そして私も、彼に近付きたくないという気持ちから、その場にいた他の女性たち(特に私より年下の若い女の子たちがターゲットになっていた)をその男性から守ってあげられず、彼女らを傷付けてしまったのが悔しく、自責の念にかられている。
加害者は場所を選んでやっている
「なんかこの人おかしい」と思った時に、その直感を共有できる人がいれば、一人で抱えず、何か起きそうになった時に備えることもできる。だが、その感覚を共有したり、信頼してくれる人も多くはない。そのため「なんか変だな」「気持ち悪いな」と感じても、「気のせいかな」「決め付けはやめよう」と思い直して心のうちに留めてしまうこともある。今回の件では、私とスタッフたちもそうだった。
私は「なんかおかしい」「気持ち悪い」と感じる「きもいセンサー」は、自分の権利を侵害されないための大切なサインだと思っている。コラボは私も含めて若い女性が中心になって活動しているので、講演に行った先でこうした不審人物に声をかけられたり、「性的加害」を権利として主張する人に狙われたりすることがあり、身を守るために日々細心の注意を払っている。自分の身を自分たちで守らないといけないのが辛いが、そういうことがあった時、私もかたまってしまったり、恐怖心が先に立って、大して抵抗できないことが多い。
私は年間60~80回講演しているが、講演先で二次被害やセクハラ、危ない目に遭うことはこれまでにも数え切れないほどあった。そのため主催者の方には申し訳ないけど規定を作り、安全な環境を確保できる場合のみ講演などをお受けしている。が、それでも被害は防げない。特に女性スタッフだけで会場に行った時や、会の運営や会場の警備体制がしっかりしていない時によく起こる。加害者も場所を選んでやっているのだ。
「被害者にもっと声を上げてほしい」「頑張ってほしい」などと言われることもあるが、こうして怒りのエッセーを書くのにもパワーがいるし、講演などで語ることも、本当にいろんな意味で命がけだということを知ってほしい。
みんな一緒に声を上げてほしい
大学時代、恩師が「語ることは魂を削ること」という言葉を教えてくれた。それでも伝えて、理解者を増やして、変えていかなければならないことがあるから、私はこれからも発信を続けるが、こういうことがあった時は心が折れそうになる。
この日は「きもかったね! なにあいつ!!!」と憤慨しながら女性スタッフや登壇者たちとタイ料理(タイ人の女性たちとのイベントだったので)を食べて別れたが、きっとそれぞれ家に着いてからぐったりしていただろう。それでもまた肩を組み手をつなぎ、疲れた時は休みつつ、できることをやっていくのだ。
被害者ばかりが頑張らなくてはいけないのはおかしい。こういう男性からの暴力にいちいち怒るのもパワーが必要だし、この男性のような人だけでなく、理解者のような顔をして無自覚に差別する人を相手にするのも本当に疲れる。
だからみんな一緒に声を上げてほしい。「それ、おかしいよね」と一緒に怒ってほしい。自分に加害の過去や加害者性があるのなら、そこに向き合ってこれから変わればいい。自分とは関係ないかのような顔をするのではなく、声を上げてほしい。それが大きな支えになり、力になる。
虐待や性暴力、差別など、あらゆる暴力の当事者は加害者と被害者だけではない。見ようとしなかったり、見ぬふりをしたりする加害者と被害者以外の多くの人たちの無関心が、暴力を生み出している。一人ひとりが当事者意識を持ち「暴力を許さない」と当たり前のように言う勇気を持ってほしい。
そんな当たり前のことを表明するのに、勇気を持たないといけないのが、今の日本社会のレベルなのだろう。