「あの時、彼女を救えなかったかもしれないが、何かをすべきだった」――たまたま目撃した殺人について自責の念に囚われ、その殺人を政治ショーに仕立て上げた大統領の不正に我慢がならず、そして娘に対する父親としての責務を果たそうとするルーサーですが、その存在は、権力を私利私欲と自己保身のために用い、公衆の面前で平気で嘘をつく合衆国大統領と対比されて描かれます。果たして、ルーサーは大統領の権力を糺(ただ)すことができるのか。映画は、自分の手を下さないままにそれを成し遂げるという、予想もしない結末へと向かいます。
太平洋戦争を描いて日本でも話題になった『父親たちの星条旗』(2006年)、『硫黄島からの手紙』(同年)、さらに近年の『ハドソン川の奇跡』(2016年)から『リチャード・ジュエル』(2019年)に至るまで、イーストウッドの保守主義は、国や権力、そしてこれらにむやみに追従する人々を軽蔑し、それに対置される個人の職業的なプライドや、そのプライドの源泉となる他人への愛情を核としています。『目撃』でも、こうした価値観をシェアするがゆえに、殺害を隠蔽しようとした大統領補佐官の指示に反発し悲劇的な結末を迎えるSPが英雄視されて描かれています。ここで紹介した作品をはじめ、無慈悲な国家権力や官僚制に抗する、孤高な保守主義を理解するのにイーストウッド作品ほど適したものはないでしょう。
『LBJ』――保守するための改革
『目撃』では、下劣な存在として描かれた合衆国大統領ですが、アメリカ映画には反対に大統領の姿を通じて社会で守るべき価値を示す伝統もあります。
『LBJ――ケネディの意志を継いだ男』(ロブ・ライナー監督、2016年)は、アメリカの第36代大統領だったリンドン・B・ジョンソン(通称LBJ)の施政を描くものです。アメリカ憲政史で副大統領が大統領になったのは現在のバイデン大統領を含めて15人しかいませんが、ジョンソンもその数少ない一人です。1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺時に副大統領を務めていた人物といえば、わかりやすいかもしれません。63年11月22日、ケネディ大統領が暗殺されたダラスの飛行場で、大統領専用機の中でケネディ夫人のジャクリーンの横で大統領就任の宣誓をしている写真は世界的に有名になりました。そのダラスのあるテキサス州は、ジョンソンが生まれ育ち、自らの選挙区とした土地でもありました。
映画は、ケネディの暗殺事件と、その3年前にジョンソンがケネディに民主党内の大統領候補選で敗れ、副大統領候補となるよう説得される場面とが交互に展開していきます。アメリカでは、白人の高齢男性であるバイデン大統領が若い黒人女性のカマラ・ハリスを副大統領に据えたように、そして若い黒人のオバマ大統領が高年齢の白人のバイデンを副大統領としたように、大統領と副大統領のコンビを補完的にすることで、票が集まりやすくなります。カトリックで名門出身、リベラルな価値を掲げたケネディと比して、南部の高校教師からの叩き上げで、議会政治に熟知した民主党内の保守派のジョンソンこそが副大統領として相応しいとされたのでした。
ジョンソンは「ケネディは馬術用の馬だ。見た目はいいが役に立たない」と彼を馬鹿にする一方、ケネディ陣営も「(ジョンソンを)組合もリベラルも嫌っている」と、南部の票を獲得するための戦略上の止むを得ない選択であることを隠しません。いわば革新リベラルと保守的な南部の仲介役として期待されたのがジョンソンだったのです。ちなみに、ケネディが大統領に選ばれて以降、戦後の民主党大統領はほぼ例外なく南部出身者でした。
この時代、ベトナム戦争に加えてアメリカ社会を大きく揺るがしていたのは、公民権運動でした。1963年8月には「ワシントン大行進」と呼ばれる、社会に残る黒人に対する人種差別撤廃を求めて数十万人が参加する史上最大規模のデモなど、アメリカ現代史を語る上で欠かせない出来事も起きています。ただ、ケネディ政権が推し進めようとした公民権法は、上院の南部出身の議員たちを中心とした反対にあって成立が見込めない状況にありました。
ケネディ暗殺という誰もが予期しなかった事件が起き、ジョンソンは思わぬ形で大統領の座を手にします。南部の議員団はこれを歓迎し、「我々は一世紀もの間、北部に虐げられてきた」と、南北戦争の記憶を新たにします。
しかし、大統領となったジョンソンは「ケネディ大統領の大義を継ぐ弔い合戦だ。テキサス人のタマのでかさを見せてやれ」と、大方の期待を裏切って、南部の議員団が反対していた公民権法の成立に邁進することになります。
ジョンソンの伝記などを読むと、彼はなかなかに複雑な人間だったようです。映画でも触れられていますが、小心者で他人の評価を常に気にする一方、周りの人間には横柄だったり、高圧的だったりすることもあったようです。アメリカの副大統領にまつわる作品といえば、好評を博したネットフリックス配信のドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(2013~2018年)も想起されますが、作中の偏屈な性格を持つフランク・アンダーウッド大統領は、ジョンソン大統領をモデルにしたともいわれています(上院の院内総務、副大統領、そして大統領というキャリアパスも同じです)。
そうした性格に加え、ケネディに対するコンプレックスや南部出身であることの口惜しさとそこから来る自尊心、そして実際に深い愛情をかけていたという黒人の女性召使いの存在なども作用したでしょう。そうした様々なことが相まって、民主党で保守的とされていたジョンソンは、公民権法という、当時としてはもっとも革新的な政策を実現させることになりました。
「アメリカを前進させること、人種や宗教、政治的信念に関係なくすべての国民がお互いに理解し合って尊敬し合う時が来たのです」というのは、映画でも再現されるジョンソンの両院議員総会での演説文です。彼は自身の政権下で「メディケア」や「メディケイド」といった社会保障制度、「ヘッドスタート」といった就学前教育を実現させたことで、スローガンである「偉大な社会」を目指し、今でも人気のある大統領です(もっともベトナム戦争の泥沼化を招いた人物として批判的にみられることもあり、ジョンソン政権以降、南部の有権者が民主党から離反したことから、今でも南部は共和党の地盤となり、アメリカ政治の分極化の原因を作った人物の一人でもあります)。