映画『カサブランカ』より
結局、リックは夫よりも彼女を愛しているということを証明するために、通行証を2人に譲ることを決意し、そればかりか、ファシズム勢力と戦うため、戦争に参加することを決意します。「新しい友情の始まりだ」――リックがフランス人ルノーに言うセリフは有名ですが、これはアメリカが第二次世界大戦を戦うことを決意する意思の表明にもなっています。
『カサブランカ』は1941年、3期目の大統領に就任したルーズヴェルトが、第二次世界大戦への参戦を模索していた時期と同じくして製作されたものです。やはりナチスに支配されたノルウェー出身という設定のイルザ、その夫であるチェコ人、リックを手助けするフランス人ルノー、こうした人々の国を救うために、アメリカが第二次世界大戦に参戦する理由を提示することこそが、この映画の核心になっています。封切り時に映画を見た同時代のアメリカ人たちは、切なくも甘い物語をみて、その戦意を高揚させたことでしょう。女性への愛とナショナリズムの心を巧みに組み合わせているところが『カサブランカ』を名作にしている所以です。
戦争が国民をつくる――『麦の穂をゆらす風』
ナショナリズムが戦争を誘発することも確かですが、他方で戦争が特定のネーションをつくり上げることも確かです。そうしたナショナリズムに翻弄される兄弟の姿を描くのは、名匠ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』(2006年)です。なお、アイルランド独立戦争を描いた、対照的な『マイケル・コリンズ』(ニール・ジョーダン監督、1996年)の名もあげておきます。これらの作品はそれぞれパルムドールとヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いています。
アイルランドがイギリスから公式に独立するのは1922年のことです。イギリスは、世界帝国となる前から、現在のグレートブリテン島を北上して各地を征服し、12世紀の入植に始まり、1801年にアイルランドを併合したことで、「大ブリテンおよびアイルランド連合王国」が誕生します。歴史的にアイルランド問題が解決をみなかった背景には、アイルランドが主としてカトリックの地であり、国教会のイギリス人がその権利を認めたがらなかったことが挙げられます。
アイルランドが独立の道を歩み始めるのは、第一次世界大戦中、1916年の「イースター蜂起」を経て、大戦後の1919年には一方的な独立宣言をしてからのことです。アメリカのウィルソン大統領が民族自決を掲げたことから、ヨーロッパ大陸で多くの新興国家が生まれたことも作用しました。イギリスはその独立を認めなかったため、武装蜂起をしたアイルランド共和国軍(IRA)との武力衝突が始まります。『麦の穂をゆらす風』は、女性や子どもがイギリス軍の犠牲となった「血の日曜日」が起きるなどして、両国の間でもっとも激しい戦闘のあった1920年代初頭を舞台としています。
医者として将来を嘱望されていた主人公ダミアンは、友人がイギリス軍に無残に殺されたことをきっかけに、IRA入隊を決意します。「俺たちはボーア人さ、アフリカの植民地並みだ」と、アイルランドの人々はイギリス支配脱却の意思を強くします。ちなみに、当時のアイルランド問題の担当は、後に首相となるチャーチル植民地相でした。
ダミアンには、同じくIRAで活躍する尊敬する兄テディがいますが、彼は一旦イギリス軍の囚われの身になります。「君らは不法に国を占拠している」「国から出ていけ」――テディはこうして拷問にかけられますが、拷問をしたイギリス軍将校も「ソンム(第一次世界大戦の戦場)で戦ったんだ」と述べて、自分もイギリス・ナショナリズムの犠牲者であることを匂わせます。実際、イギリスは、第一次世界大戦後に職のない復員兵を大量にアイルランド戦線などに投入しました。
ダミアンは独立闘争を進めるなかで、密告をした仲間を処刑せざるを得ないという、惨い経験をします。しかし、事態は彼もまた同じ目に遭う状況へと発展していきます。イギリスがアイルランド南部の独立を「アイルランド自由国」として認める一方、北部(アルスター)をイギリス領に留める案(イギリス゠アイルランド条約)を提示したことで、IRA内が条約批准派と反対派に分裂したためです。あくまでも完全な独立を求めるダミアンと、妥協を是とするテディとの間にこうして埋めがたい溝が生まれます。
映画『麦の穂を揺らす風』より
こうして南北にアイルランドが分割されたことで、北アイルランドでは90年代までIRAの武力闘争(イギリスから見ればテロ)が続くことになり、イギリスのEU離脱では北アイルランドとの国境が問題になるなど、100年前に生まれたこの問題は今も尾を引いています。
ダミアンを捜索しに、自由国軍はかつて彼の殺された友人の実家にも踏み込み「政府の命令」と、イギリス軍とまったく同じ言葉を吐きます。内部の敵を排除しようとするイギリスのナショナリズムと新たなアイルランドのナショナリズムに違いはありません。