「誰と戦うかは簡単にわかる。何のために戦うかをよく考えろ。僕は今何のために戦うかがわかる」――アイルランド全土を解放するという大義のために命を捨てる覚悟をしたダミアンの心境です。ナショナリズムは、敵から攻撃されることによっても鼓舞されます。歴史をみても、フランス革命防衛戦争(ナポレオン戦争)や普仏戦争、そして現在のウクライナ戦争を含め、敵国と戦うことによって、もともと薄く存在していたネーションとしての意識が強化され、大きな力を発揮することになります。ナショナリズムが戦争を生むというだけではなく、戦争によってナショナリズムが発展していくという循環があることにも気づかされる作品です。
国を愛することの意味――『7月4日に生まれて』
果たしてナショナリズムは、必ず好戦的なものなのでしょうか。そうではなく、国を正しい方向へと糾そうとする戦いもナショナリズムなのだ、ということを教えてくれるのは、史実に基づいたオリバー・ストーン監督の『7月4日に生まれて』(1989年)です。この作品は『タクシードライバー』(1976年)や『ディア・ハンター』(1978年)などと同様、ベトナム帰還兵の困難を主題にするものですが、戦争を経てナショナリズム観が変転することを描く作品でもあります。
トム・クルーズが務める主人公ロンの誕生日は7月4日、アメリカの独立記念日です。1946年生まれの彼は、まだ第二次世界大戦の記憶が生々しい環境で育ちます。高校でレスリング部の選手として活躍するロンですが、期待に反して大会で負けてしまったため、ベトナム戦争中ということもあり、海兵隊への入隊を決意します。「親父たちは第二次世界大戦、俺たちも歴史の一部になるんだ」。敬虔の念が深いカトリック家庭に育ち、レスリング大会での敗北でもって親からの期待にも応えられなかった彼なりの承認を求めての決意でした。
ところが早速に動員されたベトナムの戦地は過酷なものでした。ある日、哨戒中に彼の率いる部隊はベトコンと間違えて無辜の住民を撃ち殺してしまい、さらにはその混乱の中でロン自身が仲間のアメリカ兵を誤射してしまうことになります。報告を受けた上官は、この事実を握り潰します。彼自身も、続く戦闘で半身不随となるほどの重傷を負います。
負傷兵として母国アメリカに戻っても、ロンは期待していたように、英雄扱いされることもありませんでした。戦争下の予算カットから劣悪な病院の状態はもちろんのこと、時代は1968年、すでに5年近くも続く戦争に少なくないアメリカ国民が反対の声を上げ、若者を中心に反戦運動が広がっていたためです。反戦運動は、シカゴの民主党大会に数千人のデモ参加者が押し寄せ、警官隊と衝突するという「暴動」と相前後して、全国に広がりを見せていくことになります。ロンはもちろん、反戦活動には批判的です。
治療を終えて故郷に錦を飾ろうと帰ってきても、周りはすっかり姿の変わってしまった彼に戸惑うだけで、温かく迎えてくれるわけではありません。帰還兵として参加したパレードでも、第二次世界大戦の退役軍人の時と異なって、兵士を揶揄するような反戦デモに出くわします。ここでロンは、もはやアメリカはベトナム戦争に実質的に負けたということを察します。住民を前にしたスピーチで、彼が「戦争に勝つ」という言葉に二の句が継げず沈黙してしまったのも、それが嘘になると自分でわかっていたからでしょう。
映画『7月4日に生まれて』より
生きる意味を喪失した彼は、外地メキシコで酒と女の日々に浸ります。ベトナム戦争によって約7万5000人の兵士が障がいを負い、派遣された300万弱の兵士の2割弱がPTSDを発症したとされています。この地では彼と同じように、車イス生活を余儀なくされたり、精神トラブルを抱えたりした帰還兵の慰みの場所でした。そこで繰り広げられる、トム・クルーズと、やはり帰還兵役を演じるウィレム・デフォーとの取っ組み合いは本作品の見どころのひとつですが、ここに至ってロンは告白します。「俺は小さな町で育って親父とお袋がいた。迷うことなど何ひとつなかった。頼れるものがあった。全て失った。どうしたらいい?」と。
彼が見出したのは贖罪の道でした。それが誤射で殺してしまった兵士の家族に真実を告げて赦しを請い、そしてベトナム戦争反対を声高に主張することでした。「人々は言う。アメリカを愛さぬ奴は出ていけと。僕は愛している。僕はこの国を愛している」――自分の身体を傷つけ、戦闘の真実を国民に知らせず、デモを弾圧し、戦争の現実と社会との間に折り合いをつけようとしない時の政権に対して抗議の声を上げることです。この作品では紹介されていませんが、現実のロンは湾岸戦争やイラク戦争に反対の声を上げ続け、アメリカ反戦運動の象徴として活躍することになりました。この時、彼はようやく社会から認められたと感じたことでしょう。
もし国家が自分の信じるところと異なる方向に進み、しかもそのために数多くの犠牲者を生み出し、そこに虚偽や欺瞞が込められているとしたら、それを世に知らしめ、仲間をつくり、異なる方向へと導こうとすることもまた、ナショナリズムと呼ぶべきではないでしょうか。そして、これこそがナショナリズムと民主主義とが調和する瞬間でもあるのです。