エドワード・マイブリッジ「動く馬」(1887年頃)
その一方で、18世紀の初頭に写真が発明されてから、幻灯機を使ってスライドショーをお客に見せる興行もあったのです。幻灯機を使って観客に幽霊を見せるファンタスマゴリアという興行は、18世紀の末から19世紀にかけて人気を博したという。そう、ディズニーランドの人気アトラクションであるホーンテッドマンションの、遥かなプロトタイプは18世紀にはもう存在していたわけだ。映画が誕生する前の時代に、映写というシステムがあったのです。
パラパラ漫画とフェナキストスコープの発明から、高速度撮影を可能にしたマイブリッジは、絵が動いて見える、動画というシステムを構築し、エジソンがキネトスコープで一旦は完成品にしたわけだ。現代の我々がスマホで動画を見る行為は、エジソンのキネトスコープに近い。その一方で、薄暗い場所で幻灯機を使って大勢の観客にイリュージョンを鑑賞させる見せ物の流れがあった。
リュミエール兄弟の発明は、この2つの流れを合流させたことである。シネマトグラフは動画を映写するシステムだった。動く写真を、大きなスクリーンに映写して、複数の人間たちがそれを見る。このシステムを開発したシネマトグラフの発明をもって映画の誕生とされているのだ。シネマトグラフが凄かったのは、撮影するためのカメラと映写機が基本的に同じ構造であることで、彼らが発明したカメラとフィルムを持ったカメラマンが世界中に飛んで当時の人たちが見たこともない異国の風景を撮影した。既に開国していた日本にもやってきて、リュミエール社から派遣されたカメラマンが撮影した19世紀末の日本の映像は今では貴重な資料となっている。
ただし、リュミエール兄弟は、しばらくしたらシネマトグラフの事業から撤退してしまう。彼らは自分たちがどれほど凄いものを発明したのか理解していなかったのだ。つくづく、文化というのは個人の業績ではなくて、複数の人間によるバトンリレーによって前に進むのである。
ここでまた、リレーのバトンが次のランナーに渡る。リュミエールが上映した世界初の映画の観客の中に、舞台で手品師をやっていたジョルジュ・メリエスがいた。メリエスは何よりも興行師だったから、リュミエール兄弟よりもシネマトグラフが秘めている見せ物としての可能性を予見することができた。元から舞台人であった彼は、舞台で観客に見せているものを映画で撮影したらいいではないかと考えたのだった。メリエスの初期の作品は、短いものだと上映時間はリュミエールと同じく1分ほどで、本当に手品師による一発芸を撮影したような代物である。が、人がポン!と消えたり現れたりするようなトリック撮影が多用されていたから見せ物としての効果はあったのだ。ドキュメンタリー映画しか撮らなかったリュミエール兄弟にはない発想である。
まさにメリエスこそは特殊撮影の父であり、彼がいなかったら『ゴジラ』も『スター・ウォーズ』も『アベンジャーズ』もなかったわけだが、ちょっと待って! 実は彼よりも先にトリック撮影は行われていたのである。1895年の8月にキネトスコープで発表されたエジソン社の『メアリー女王の処刑』という作品は、上映時間がなんと約22秒。まずは処刑されるスコットランドのメアリー女王が処刑台の上に頭を置く場面があり、そこで一旦カメラを止めて、女王役の人を人形に置き換え、またカメラを回して処刑人が人形の首をぶった斬るという場面になる。たったこれだけだから今の我々がスマホで見るリール動画よりも短い20秒ほどで終わってしまうのだけれども、この作品は既に劇映画のプロトタイプになっているし、世界最初のホラー映画にもなっているのだ。
現代の我々が見ると、人形に置き換えたのは丸わかりなのだが、当時はこれがかなりショッキングな映像だったのである。
映画、映像作品の黎明期から、このようなトリック撮影があったのは何故かというと、この時代に映像作品を撮影した人たちは、それこそマイブリッジから始まって、動画を撮影するためのカメラを作るところから始めるしかなかったからである。リュミエール兄弟の興行を見たメリエスは、速攻でカメラを売ってくれと頼んだのだけれど、リュミエール兄弟は売ってくれなかった。だから、カメラからフィルムの開発まで自分でやることになったからこそ、メリエスは動画を撮影して再生するための工学的な仕組みを理解してしまったわけだ。だからこそ、映画の黎明期に様々なトリック撮影の技術が磨かれたのだった。
そしてメリエスは1902年に『月世界旅行』という超大作を発表する。原作はクレジットされていないが、ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』とH・G・ウェルズの『月世界最初の人間』を下敷きにメリエスの想像力を炸裂させた作品で、何しろ十数分しかないから(この時代のサイレント映画は再生速度によって上映時間が変化するから、正しい上映時間というのはない)退屈することがない。字幕がなくてもだいたいのことはわかるから、是非とも見てください。
世界初のSF映画とされる『月世界旅行』は、それまでにメリエスが撮ってきた短編とは違って、複数の場面から構成されているという点で現代のドラマ、劇映画とほぼ同じものになっている。
いきなり大きな主語を使うけれども、ヒトつまりホモ・サピエンスは広い意味での物語芸術が大好きな動物であり、物語を楽しむために喜んでお金を使う傾向がある。たとえばあなたがNetflixで見たい作品があるからとNetflixに入会するのは、要するに物語を楽しむために料金を払うということなのですね。いやいや自分はドキュメンタリーを楽しむために動画配信に料金を払っているのだという人もいるだろうけど、たとえば野生動物の生活を克明に描いたドキュメンタリー映画を見て、面白く感じたとすれば、それはある種の「物語」を楽しんでいるわけですよ。
たとえばウミガメが卵を産む際に涙を流すことはよく知られていて、これはもちろんつらいからではなくて、体内の塩分を調節するために余分な塩分を含んだ液体を目の横から排出しているだけのことだそうだが、そういった科学的な知識のある人であっても、ウミガメが産卵して涙を流す映像を見ると少しばかりは胸がジーンとする。これは我々の脳内で、感動的なドラマが勝手に生産されているのだ。ウミガメにとっては、知ったこっちゃないわけですが、我々の脳内では勝手にウミガメの産卵に伴う感動的なドラマが分泌されているからこそ、絶滅しそうなウミガメがいるのなら、それを保護しなければ! という感情も生まれるわけですよ。ヒトの脳はかなりの割合でストーリーというか、物語に依存している。これは本能のレベルの話なのだ。
ストーリーというか、いわゆる物語を観賞するメディアとして最も古いのは昔話である。親が子供に、はたまたお爺さんやお婆さんが孫に昔話を語るという行為がいつ頃始まったのかを確認する術はない。どう考えても文字が発明されるよりも古くからある行為なので、記録が残っていないのである。昔話に教訓譚が多いのは当然で、たとえば他人に親切にしたほうが自分自身も幸せになれた、というストーリーが広まれば、誰もが他人に対して親切にすることを気にするのも道理である。
というわけでヒトには物語が必要なので、遥かな昔から物語を共有し伝えるためのデバイスを開発してきた。世界最古の物語と言われている『ギルガメシュ叙事詩』は、粘土板に楔形文字で刻まれていたから現代まで残ったわけだ。粘土板は4000年くらい前のものだと思われているけれども、ギルガメシュの物語そのものはそれよりもっと古くからあったのだろうけど、文字がなかったので記録できなかったわけです。ちなみに文字がまだなかった頃の人類は、今よりも記憶力が良かったらしい。