
メリエス『月世界旅行』(1902年)の一場面
その一方で、文字が発明されるよりも遥かな昔から、物語を共有するためのデバイスは存在していたのですね。それは何かというと洞窟の壁画である。洞窟壁画の多くはその時代のヒトたちが狩猟していた動物たちを躍動感豊かに描いたものが多いのだが、洞窟壁画というのが大きなポイントで、洞窟の中だから普段は暗くて見えにくいし、そもそも暗いところに絵を描くのは難しい。人類の先祖が火を使いはじめたのは40万年から50万年ほど前のことで、もちろんホモ・サピエンスどころかネアンデルタール人もまだ誕生していない。逆にいうとネアンデルタール人や現生人類であるホモ・サピエンスは最初から余裕で火を使って料理をしたり、狩りの獲物から剝いだ毛皮を遠火で乾かしたりしていたのだ。我々の遥かな先祖が洞窟で暮らしていた理由はおそらく、肉食獣に襲われて食べられるのを避けるためだ。
だからネアンデルタール人やホモ・サピエンスは洞窟の中で焚き火をして生活し、居住空間である洞窟の壁に絵を描いた。躍動感のある洞窟壁画を眺めながら、同じ焚き火で調理したバーベキューの先祖のようなものを仲間と一緒に食べる。
チロチロと明滅する焚き火の炎で照らされる洞窟壁画はおそらく、何万年も後になってから開発されたキネトスコープやシネマトグラフのような効果があったのではないか。現代の我々が鍋物やバーベキューを好むのは、本当に本能的なもので、大昔のホモ・サピエンスやネアンデルタール人も洞窟で壁画を眺めながら、ご飯を食べながら、わいのわいのと語り合ったのだろう。だとすれば、その頃の洞窟は居住空間でありつつ、今の我々にとっての映画館やライブハウス、クラブのような空間だったのだろう。
チンパンジーやゴリラを含む類人猿の仲間は集団になって盛り上がり、踊る習性があるからホモ・サピエンスがクラブや盆踊りで踊るのも基本的には動物としての習性である。そのような空間から物語が生まれ、ある程度系統だった物語がまとまると宗教になったのだろう。
映画が誕生した19世紀の末には、物語を楽しむメディアとしてはまず演劇があり、そして小説があった。西欧の演劇はシェイクスピアの時代には既に完成されており、活版印刷が盛んになっていたから新聞をはじめとする印刷物が増えて、19世紀は小説の黄金時代と呼ばれた。これは日本も似たようなもので、歌舞伎をはじめとした演劇があり、滝沢馬琴のような職業作家が誕生していた。この時代の日本は実はそれなりの先進国で江戸で生活していた人たちの識字率はイギリスやフランスといった先進国に劣らない。それなりに高い文化があったからこそ、鎖国していながらも海外の情報に触れた人たちがいて、このままでは発展しつつある西欧文化に取り残されてしまうから、慌てて開国したという面もある。
そんな状態だったので、明治の日本にはかなり早い段階で映画が輸入され、欧米諸国と肩を並べる映画大国になったのだった。
物語を語るメディアが、広義の演劇と小説だった時代に映画は誕生したわけだ。そして、黎明期の映画の作り手たちは早い段階で、映画もまた演劇や小説と同じようにストーリーを、物語を観客に伝えるメディアであることに気がついたのだった。
もっと言うと、もしかしたら映画というのは演劇や小説よりも、便利にストーリーを伝えられるのではないか?
マイブリッジが生んだ動く写真から、リュミエール兄弟によってドキュメンタリーな映画が誕生したわけだが、20世紀の到来を迎えて、黎明期の映画人たちはこぞって映画でストーリーを物語るようになった。
具体的に何をしたかというと、先行するエンタメメディアである演劇と小説から手法を盗んだのだ。実際、メリエスは舞台装置のある演劇をそのまんま撮影したわけだが、それだけではなかった。というのも、メリエスの作品は実写ではあるものの、アニメーションに近いものが多い。
マイブリッジよりも先にパラパラ漫画的な絵を動かすメディアがあったことは重要だろう。エジソンとリュミエール兄弟は写真を動かして見せた。写真が動くのならば、絵も動かせるはずではないか。いや、そもそも先に絵を動かすメディアがあったではないか。というわけで、アニメーションが爆誕する、わけですよ。
実写映画とアニメは違うと考えている人は多いだろうけれども、実写とアニメは双子の兄弟のような存在なのだ。どちらもルーツはパラパラ漫画である。絵が動くか、写真が動くかの違いしかない。
エジソンやメリエスに影響を受けた、ジャーナリストにしてイラストレイターでもあったジェームズ・スチュアート・ブラックトンは1900年に『魔法の絵』、1906年には『おかしな百面相』という短編を撮影する。これが現代のアニメーションの直接的なルーツである。それがどのようなものであったのかは、YouTubeで見てもらうのが早いだろう。ブラックトンはアルバート・スミスという奇術師の舞台に立って観客の前でイラストを描く仕事もしていたのだ。そう、メリエスと同じく見せ物師だったわけです。
メリエスもブラックトンも、実質的に映画監督と言っていいんだけども、彼らはどちらかというと舞台人であって、厳密な意味での映画監督ではない。そして、彼らの作品もまた舞台の見せ物っぽいのである。
映画はまだ映画独自の文法を見出していなかった。そして映画の文法が生まれた時に、映画監督が誕生したと言っていいだろう。