世の中には天才スティーブ・ジョブズがiPhoneを発明したと思っている人もいるかもしれないけど、そんなわけはなくてiPhoneは Apple社の開発チームが生み出したもので、ジョブズは陣頭指揮しただけだ。iPhone以降の、いわゆる現代のスマホが誕生する前にはいろんなPDAがあったし、SONYは2009年にジーンズのポケットに入るポケットスタイルのパソコンVAIO type Pを発売している。PDAもVAIOのtype Pも、iPhone以降のスマホと同じくらい個人で持ち歩けるパソコンである。
昔のSF映画を見ると、コンピュータというのは巨大な装置として描かれている。実際、昔のコンピュータは巨大だったわけだが、それをコンパクトにして、一家に1台あるような便利な機械にしようとしたのが、パーソナルコンピュータ、つまりパソコンだ。最初はデスクトップしかなかったパソコンだったが、ノートパソコンが普及すると一家に1台ではなくて、家族全員が自分のパソコンを持つような時代になる。それを更に突き進めて、自分のパソコンをポケットに入れて持ち歩けるようになれば良いなと思った人たちがいて、PDAやVAIOのtype Pが生まれた。
それと並行して、かつては一家に1台だった電話機から、携帯電話が生まれた。初期の携帯電話は、ベルトで肩から吊り下げるような代物だったけれども、数年のうちにポケットに入るサイズまで進化した。
そしてApple社は、iPodという携帯用の音楽プレイヤーを発売していた。iPodは大ヒット商品で、経営が傾いていたApple社はこれで息を吹き返したと言われる。
持ち運びできるパソコンというアイデアと、携帯できる電話というアイデア、そしてポータブルな音楽プレイヤーというアイデアが合体してiPhoneが生まれたわけですよ。そしてiPhoneにはカメラと地図、録音機能にカレンダー、さらには電卓機能まである。複数のアイデアが合流した結果なのだ。
映画というメディアも似たようなところがある。複数のアイデアが合流して、我々が知っている映画になった、わけですよ。
いわゆる映画、シネマトグラフを発明したのはフランスのリュミエール兄弟だというのはよく知られている。1895年12月28日、パリのグランカフェ地下のサロン・ナンディアンで彼らが撮影した世界初の映画『工場の出口』を上映したのが映画の起源だとされており、それはもちろん間違いではないのだが、映画というよりは動画というべきか、写真が動く映像そのものは、それよりも前に存在していたのだな。

リュミエール兄弟 『工場の出口』(1895年)の一場面
最初に、動く写真を発明した人がいて、それを見るためのデバイスを開発した人たちがいて、リュミエール兄弟はその動く写真を大勢の人間が、それこそ演劇を見るように同時に鑑賞できる装置を作ったから映画の生みの親と言われているわけだ。
それでは最初に写真を動かしたのは誰かというと、エドワード・マイブリッジというイギリス生まれの写真家である。この人は浮気した奥さんの愛人を射殺したものの正当防衛として無罪になるという、かなり波瀾万丈な私生活を送りながら、後の映画の発明につながる高速度連続撮影の技術を進歩させた。
そもそものきっかけは馬だった。ヒトの目では、走っている馬の脚の動きを捉えることはできない。だから当時、ギャロップする馬の脚が4本とも地面を離れて宙に浮いている瞬間があるかないかという議論があったわけです。この時代のアメリカにはいくらでも馬がいたから、いくらでも観察する機会はあったのだけれども、人間の目ではどんなにじっくり見たとしても高速で移動する馬の脚の動きを確認することが不可能である。
この、馬の脚が4本とも地面を離れる瞬間があるのかないのかという疑問はギャンブルにまでなったという。そこで、実業家でカリフォルニア州知事も務めたことのあるリーランド・スタンフォードが写真家のマイブリッジに依頼したわけだ。何しろ馬は1秒間で17メートルも移動してしまうから、その一瞬の動きを撮影するためには高速度のシャッタースピードが必要になるし、その一瞬で光を捉えて定着させることが可能なほどに感度の高い材料が必要で、そのためのイノベーションが不可欠だった。
スマホによるデジタル撮影が当たり前になってしまった現代人にこれを説明するのはかなり難しいので、敢えて大胆な説明の仕方をする。写真が発明されて間もない頃のカメラはアナログで、今のデジタルなカメラよりも性能が遥かに低かったので、何かを撮影するためには大量の光が必要だったのである。現代の高性能なスマホでも暗いところでの撮影は鮮明に写らないからスマホの方で判断してフラッシュを焚(た)いたりする。この「焚く」という言葉は基本的には火を燃やすという意味があって、炎をおこすことで光を増やすのである。そう、撮影には大量の光が必要なのだ。
マイブリッジは技術者たちと協力しながら、5年がかりで走っている馬の一瞬を撮影するためのノウハウを作り上げ、その途中で妻の愛人を射殺した。なかなかに盛りだくさんな人生である。マイブリッジが撮影した中の1枚の写真には、ギャロップする馬の4本ある脚が全て地面から離れている瞬間が撮影されている。スタンフォードがマイブリッジ に依頼した疑問点については、ここで決着がついたわけだが、マイブリッジという男はそれだけでは飽き足りなかったらしい。彼は動物の動き、モーションに取り憑かれてしまったのだ。
次に彼がしたことは、高速度撮影ができる装置を等間隔で12台並べて走る馬の連続写真を撮影したのである。それで撮影された写真を並べて見ると、馬が動いているように見えるではないか。パラパラ漫画の理論である。
1830年代にベルギーの物理学者ジョゼフ・プラトーとオーストリアの数学者にして発明家でもあったジーモン・シュタンプフェルがほぼ同時期にフェナキストスコープという装置を発明している。これは円盤に連続した絵を描いて、隙間から覗くと円盤の回転によって絵が動いているように見えるというパラパラ漫画で、おそらくは世界初のアニメーションだ。ただし、パラパラ漫画そのものは、これ以前にもあったのではないかと言われているのだけれども、フェナキストスコープのような装置がなくてもできるから、証拠が残っていないんですね。実のところ、パラパラ漫画的なものがあって、視覚の残像効果で絵が動いているように見えることを知っていたからこそ、複数の人間が同時期に絵が動いて見える機械を発明したのではないか。
ともあれ、フェナキストスコープの出現により、絵が動く、つまり動画という概念が世間に広まったと考えてほしい。
そして、疾走する馬の連続写真を撮ることに成功したマイブリッジは、写真でパラパラ漫画を作ることができるのではないかと思いついたわけですよ。絵が動くのなら写真も動くはずである。アイデアのリレーだ。マイブリッジはフェナキストスコープの理論を模倣してゾープラクシスコープという装置を発明する。この時点でもう実質的に動画が誕生しているわけだが、これに刺激を受けたのが発明王エジソンである。来たな大物。
1893年にトーマス・エジソンはシカゴ万博でキネトスコープを発表する。これは、大きな箱の中に連続するフィルムを仕込んだもので、覗き込むとパラパラ漫画を観るように動画が見れる装置だった。この時点で、実質的にほぼ映画が誕生しているわけだが、キネトスコープは1台のマシンを1人で覗き込むシステムだから、大勢の観客を集めることはできなかった。キネトスコープを見せ物にする小屋では、キネトスコープの機械を並べて、お客さんたちはそれを覗き込むことになった。映画館というよりはゲーセンに似ていて、これはこれで楽しかったろう。