2025年3月24日、陸海空の自衛隊を一元的に指揮するための「統合作戦司令部」が発足した。その主たる目的の一つには、米軍との調整がある。
この間、日米では、自衛隊と米軍の「作戦及び能力のシームレスな統合(2024年4月10日日米共同声明)」が進められ、指揮・統制の枠組みの向上が図られている。自衛隊と米軍の一体化が加速していると評されるが、この流れについては日本の指揮権の独立性の観点から、自衛隊が米軍の指揮下に組み込まれるのではないか、日本が台湾有事の際、矢面に立つことになるのでは、といった懸念も示されてきた。
この点、お隣の国である韓国と米国の関係に目をやれば、長きにわたって韓国軍の戦時作戦統制権を米国が保有しており、統制権の韓国への返還問題が常に大きな課題となってきた。この日韓の方向性は真逆ともいえよう。
日米における指揮権の歴史
NATO軍や米韓同盟では、有事の際、各国軍は米軍の司令官の指揮下で軍事行動をとる体制になっている。米国は日本に対しても、自衛隊発足前から指揮機能を要求してきた。米側が提出した「相互の安全保障のための日米協力協定案(1951年)」、その後の、「日米行政協定(現在の日米地位協定)案(1951年)」には、有事の際には日本の軍隊は米国の統一指揮権下にあるとの文言が組み込まれていた(『「日米指揮権密約」の研究』末浪靖司、創元社、2017年、120頁)。これに対し日本は、「日米の平等対等関係は消失」することになり、かつ、「憲法上の問題がある」として、条文の明文化は退けた。
しかし、当時の吉田茂首相は「有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状の下では、その司令官は合衆国によって任命されるべきである」と米側の要求に同意し、有事の指揮権は米国に渡されたとされる(いわゆる「指揮権密約」)(前掲書、162頁)。
その後、徐々に日米協力は進み、日米防衛協力のための指針(日米ガイドライン)において、1997年の指針では「日米共同調整所」の設置が、2015年の指針では「同盟調整メカニズム(ACM)」の設置が規定されている。
統制権返還を求める韓国
他方、韓国では、作戦統制権の米軍から韓国への返還が長年の課題となってきた(作戦統制権とは、指揮官が作戦遂行において部隊を使用するための全面的な権限であり、通常は各軍の作戦指揮権を通じて行使されるものである)(『東アジアの米軍再編』我部政明・豊田祐基子、吉川弘文館、2022年、196頁)。
米韓連合軍司令部においては、司令官を米国軍から、副司令官を韓国軍から出し、有事の際には米軍の統制権下に韓国軍が入る構造となっている。
これは、1950年、朝鮮戦争において米軍を中心とした国連軍が介入した際、李承晩大統領が韓国軍の作戦指揮権を米国人の国連軍司令官に移譲したのがきっかけである。1953年に朝鮮戦争休戦協定が結ばれた後も、1954年の韓米合意により、韓国の作戦統制権は引き続き国連軍司令官に移譲されたままとされた。1978年に、米韓連合軍司令部が創設され、その下に韓国軍の作戦統制権が移譲されたが、米軍が司令官を務めるとされている。
その後、主権回復の視点から作戦統制権の返還を求める声が韓国で高まり、1994年、平時の統制権は韓国に返還されたが、戦時の統制権は未だに米国の下にある。現在も引き続き、米韓では戦時の作戦統制権について交渉が進められており、将来の移管実現を目指して、検証作業が行われている。
近年の日米一体化の流れの中で
ここ数年で日米の指揮・統制の調整の動きは加速している。
2024年4月の日米共同声明において、「平時及び有事における自衛隊と米軍との間の相互運用性及び計画策定の強化を可能にするため、二国間でそれぞれの指揮・統制の枠組みを向上させる」と表明された。
それに先立つ2022年、日本政府は「国家防衛戦略」にて自衛隊の統合司令部の創設を打ち出していた。前述の日米共同声明発表の翌5月には自衛隊法が改正され陸海空3自衛隊の統合作戦司令部の設置が決定された。続く2024年7月の日米外務・防衛担当閣僚会合(2+2)において、米側も、自衛隊の統合作戦司令部のカウンターパートとして、在日米軍を再編して新たな統合軍司令部を日本に設置すると表明している。
効率と主権と「国益」と
軍の効率的運用だけを考えれば、共に行動する部隊の司令部はできる限り一つに統一されていた方がよい。
もっとも、韓国が作戦統制権の返還を求めてきたのは、国の主権を確立するためである。韓国は、米韓同盟について、「自立と依存」「(戦時に)捨てられる恐怖と(戦争に)巻き込まれる恐怖」「同盟が想定する敵対国とのセキュリティ(安全保障)・ディレンマ」を抱えるとの見解もあり、これは日本にも全て共通する。
加えて、日本は、平和憲法の下、専守防衛を掲げ、防衛力の抑制的保持に努めてきており、あえて、自衛隊と米軍の効率的協力ができないような制度設計が行われてきた。このまま日米の指揮・統制枠組みの「向上」が進めば、これらの原則が崩れる恐れがあるとの批判がなされている。
また、形式上は日米の指揮権の並列が担保されたとしても、「同盟関係では、軍事力が高い国が指導的立場になるのが一般的だ。(中略)米軍の意向が自衛隊の運用に影響する度合いは増す」(「毎日新聞」2024年6月26日朝刊)との指摘もなされ、米軍が持つ兵力や情報量は自衛隊より遥かに多いため、米軍の決定に自衛隊が従う構図になりかねない。
これらの批判に基づく追及を国会で受け、岸田前首相は「総理大臣が最高指揮官として自衛隊を指揮監督する」と日本の指揮権の独立を強調している。
ある元自衛隊司令官が、印象深いことを話してくれた。彼は「多国籍軍となれば、それぞれの国情を背負ってきているのは当然お互いに皆理解している」と述べた上で「日米は面(各部門部門で)でべったり一体化している」が、「最後は、政治家が米国の要求を断われるか、ということが肝心」と筆者に語った。
現場を知り尽くした者による、すでに日米が一体化している現状をも踏まえた、本質的な発言である。
文民統制の大原則のもと、首相を始めとした政治家が、どれだけ日本の「真の国益」に沿った形で自衛隊の運用を行うことができるか、これが肝である。この間、日本側の判断の独立性が失われるという批判が数多くなされてきたのも、裏を返せば、その政治家たちの判断が極めて心もとないからである。
特に今、米国ではトランプ政権の二期目が、「アメリカ・ファースト」の安保政策を躊躇なく全世界で展開している。今後、インド・太平洋地域でもその傾向は強まるだろう。すでに日本に対して、日本の防衛予算や在日米軍への思いやり予算を増やすよう要求がなされている。日本が独自の判断を持って自衛隊の運用をなしうるのか。必要な時には、「国益」に基づいて、できないことや、すべきでないことを米国に伝える覚悟を政治家はしっかりと持たねばならない。