衆参両議院の憲法調査会が2005年5月、最終報告書を発表したのに続いて、自由民主党(自民党)は同年11月27日の結党50周年党大会で「新憲法草案」を発表。民主党は同月31日に「憲法提言」を発表した。公明党は「加憲」を主張し、社会民主党、日本共産党は改憲に反対している。06年9月発足した安倍政権が憲法改正を政権の課題としたことで、改憲問題が焦点になった。憲法改正のためには国民投票が必要で、06年5月、与党は「憲法改正手続き法案」を、民主党は「国民投票法案」をそれぞれ提出した。07年5月、与党提出の「憲法改正手続き法」が成立した。同年8月に憲法審査会が設置されたが、委員数などを定める「規程」が制定されておらず、開店休業状態が続いていた。超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」(会長中曽根康弘)は再三、同審査会の早急な始動を求めたが、07年以降の国会で「衆参ねじれ」状態となったことや、安倍晋三首相の退陣によって改憲論は下火となった。保守的な麻生太郎が首相に就任したこともあって、自民、公明両党は09年6月、衆議院本会議で委員数を50人とすることや、憲法改正原案発議の手続きを定めた「審査会規程」を、民主党などの反対を押し切って可決した。しかし自公両党が過半数を持たない参議院では審査会規程は制定されなかった。憲法改正手続き法は10年5月18日に施行された。09年9月の政権交代を経て、10年10月に民主党と自民党は参議院の審査会規程を制定することで合意したものの、民主党内の手続きが進まず、10年秋の臨時国会での制定は見送られた。11年5月、参議院憲法審査会規程が制定され、10月には両議院の憲法審査会委員が選任された。衆議院憲法審査会長には民主党の大畠章宏、参議院憲法審査会長には自民党の小坂憲次が選出され、11月にそれぞれ初会合を開いた。橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会は12年2月にまとめた「維新八策」で、憲法改正が必要な参議院廃止や首相公選制導入などを打ち出した。自民党は05年の新憲法草案を踏まえ、4月27日、新たな憲法改正案を発表した。自衛隊を「国防軍」と名づけ、天皇を「日本国の元首」とするなど保守色を強めた内容となっている。憲法改正に積極的な安倍晋三の首相就任(→「第2次安倍政権(安倍晋三政権)」)に伴い憲法改正論議が再び活発化する可能性が出てきた。安倍首相はまず憲法96条(憲法改正条項)の改正を優先させる考えを示している。国民投票法のうちペンディングとなっていた投票年齢について、「改正法施行から4年後から18歳以上」とする改正国民投票法が14年6月に成立した。改正法は6月20日施行されたため、18年6月20日以前の国民投票では20歳、それ以降では18歳となる。自民党の船田元憲法改正推進本部長は憲法改正の発議は緊急事態条項や環境権の新設から着手すべきだとの考えを示し、15年2月の安倍首相との会談では、最初の発議が16年夏の参議院選挙後になるとの見通しで一致した。第3次安倍晋三政権の最大の課題の一つとして憲法改正の成否が注目される。