再処理は原爆材料のプルトニウムを取り出すために開発された核開発技術の中心技術である。膨大な放射能と化学薬品を使う危険な作業であるが、原爆を作るためにはどうしても必要な作業であったため、核兵器保有国は膨大な環境汚染を引き起こしながらその運転を続けてきた。商業的な営業もしたイギリスの酸化物燃料再処理工場(THORP ; Thermal Oxide Reprocessing Plant)や、フランスのラ・アーグ再処理工場でもたびたび事故や環境汚染を起こしてきた。
日本には1977年に当初計画「210t/年」で運転を開始した東海再処理工場があり、2006年3月に役務運転を終了したが、再処理できた使用済み燃料は累積で1116t、稼働率は20%にも満たない。また、青森県六ヶ所村に年間800tの使用済み燃料を再処理する工場が当初は1997年末の完成予定で計画された。しかし、建設費が当初の3倍近い2兆2000億円に高騰したうえ、2004年1月に電気事業連合会が発表した試算によれば、完成後の操業、解体費の総計は11兆円もかかることが公表された。
高速炉が動かず、プルサーマルも頓挫している現状では、プルトニウムを取り出しても使い道がなく、稼働することの是非が議論されてきたが、06年3月、実物の使用済み燃料を用いてのアクティブ試験(active experiments)が始まった。ところが、さまざまなトラブルに見舞われ、操業開始は延期に次ぐ延期を余儀なくされてきた。08年に入ってからは、ガラス固化体が正常に製造できないトラブルに見舞われ、同年11月に本格稼働が延期された。この計画の延期は14回目になるが、その後、ガラス固化体製造装置内での廃液漏れが発生。広島原爆3発分に相当する放射能が建屋内に汚染を広げた。腐食性の硝酸と強い放射線によって、洗浄用機器までもが動かなくなり、操業は暗礁に乗り上げた。
その後も延期を繰り返し、17回目の延期表明で本格操業は10年10月とされ、さらに18回目の延期で12年10月とされたが、それも達成できずに、13年10月に延期された。しかし、福島第一原子力発電所事故を受けて施行された新規制基準への適合も求められることになり、本格操業は15年3月に延長された。その後、さらに16年3月に延期され、さらに18年上期と延期を繰り返してきた。しかし、それすら実現する見通しはない。仮に本格操業されたとしても、六ヶ所村の再処理工場の処理能力では、現在の日本の原子力発電所から発生する使用済み燃料は処理しきれず、05年に決定された原子力政策大綱(→「原子力委員会」)では10年ごろから第二再処理工場の検討を始めることとされているが、それもなされなかった。11年3月に発生した福島第一原子力発電所事故を受け、国内の全原子力発電所とともに実施が検討されていたストレステストは、同工場が試験運転段階であって稼働中ではないという判断のもと、適用しない方針となった。