「自分はモテてきた」「口説けばなんとかなった」という成功体験があるのだろう。が、「モテの消費期限」は男女問わずやってくる。ある時期から期限が切れたことに気付かず「昔と同じやり方」をしたら大問題になり、ポカンとしている――。昔ながらの加害者の悲しい特徴だ。そのようなことを思うと、無邪気に自己肯定感が高いのも考えものである。
さて、44歳女性教師の懲戒免職から始まった話題だが、私が「男性の被害」について考えるようになったのは、ここ最近のことだ。きっかけは、「必殺! フェミ返し」という技を編み出したこと。「女だから◯◯しろ」というような言い方に対して、性別を入れ替えて相手に返すやり方だ。
例えば、子どもが保育園に落ちて仕事をやめる妻はいても、それで仕事をやめる夫を見たことがない。「夫の不倫を謝罪する妻」はたまにテレビで見かけるものの、その逆はいないなど。そのような言い方で「女性に日々降りかかる理不尽」を理解してもらうために編み出した「必殺! フェミ返し」。しかし、あらゆることで性別を入れ替えてみて気付いたのは、「男性への被害」が見過ごされていることだ。
それだけではない。本人が被害を訴えても、「男は女に言い寄られると嬉しいもの」「据え膳食わぬは男の恥」なんて言い分で黙らされてしまう。それって、セクハラの被害を涙ながらに訴える女性に「セクハラされてるうちが華だよ」なんて暴言とまったく変わらないではないか。
そんなことを考えていて、思い出したのは10年以上前のことだ。
それは近所のスーパーで買い物していた時のこと。お婆さんが、フロアで働く高校生くらいのバイトの男の子に「かわいいねぇ」を連発しながらベタベタ触っていたのだ。お婆さんが、孫世代の男の子に「かわいさ」のあまり触れる。それは一見「微笑ましい」ような光景にも見えたから、特に気にも留めなかった。周りの人も。男の子は「ちょっと……」とか言って困った顔で、だけど苦笑いもしていた。
しかし次にスーパーに行った時も、その次に行った時も、そのお婆さんは男の子に付きまといながらベタベタ触っていて、それは明らかにエスカレートしていた。
「かわいいねぇ」と言いながらうなじを触り、顔を触り、無理やり手をつなごうとし、肩や胸に手を伸ばす。触られている男の子の顔にはすでに笑みはなく、「ほんとやめてください……」と押し殺した声で繰り返していた。何度目かに見た時は涙目になっていて、よほどお店の人に言おうかと思ったけれど、言えなかった。なぜなら、お婆さんの常軌を逸した行動の背景には認知症などがあるかもしれず、そんな時、どんなふうに何と言えばいいのかわからなかったからである。
あれから10年以上経った今、思う。なぜ、私は目の前で起きていたことを放置してしまったのかと。
なぜなら、もしお爺さんがスーパーで女子高生バイトに「かわいいねぇ」を連発しながら顔や身体を触っていたら、それを見た全員が「このエロジジイ!」と叫び、一瞬で連行されるだろうからである。なのに、お婆さんは女で、高校生は男だったから見過ごされた。周りも「あらあら困ったお婆さん」って目で見ていた。彼の涙目に、多くの大人が気付いていたにも関わらず。「お婆さんの行動がセクハラになるはずがない」「男の被害者など存在するはずがない」という「常識」が、私たちの目を曇らせていた。
男性被害者の存在に気付いたきっかけは、自身の被害を告白してくれた男性たちとの出会いもある。今も後遺症に苦しんでいるのに、被害を打ち明けると「得したじゃん!」などと言われて理解されないつらさ。性被害だけでなく、男性DV被害者も無理解に苦しんでいる。
性別によって自身の目が曇っていないか、そして何よりも、自身が自身の力に無自覚になっていないか。44歳女性教師の事例から、改めて、自身に問うている。
次回は5月8日(水)の予定です。