もちろんこれについては個人的な私の話だ。また、加賀氏が告発したことについて、当然、松江監督にも言い分があるだろう。が、これは松江監督だけでなく、業界の体質の問題でもあると思うのだ。
ある国際映画祭では、上映されたドキュメンタリー映画をめぐって大論争になっているのを見たこともある。出演者の許可を取らずに公開されていることが分かったのだ。確か家族間の性被害をめぐるもので、それを許可を取らずに公開、など自殺者が出てもおかしくない。
映画祭スタッフが観客に詰め寄られていた光景を、今でも記憶している。ドキュメンタリーは、場合によっては出演者の人生を狂わせたり、死に追いやるほどの暴力性を持っている。
もう一つ思ったのは、加賀氏が舞台上で口にした「面白ければ何やってもいいのか?」という問題だ。
「面白ければ何やってもいい」
そんな価値観は近い過去、この国の一部に当たり前に存在していた。先に私が昔、サブカルクソ女だったことは書いた。なぜハマったのかというと、当時流行っていたこと。もう一つ、メインの世界で流行っていたのは「小室ファミリー」とかで、そっちにとても乗れない私はサブカルに振り切ってしまったこと。
また、18歳で北海道から上京した自分は田舎者だ、という強いコンプレックスがあり、田舎者を脱却したいがためにそういうものを無批判に受け入れていたという事情もあると思う。そうしてその世界に浸れば、なんでも相対化して嘲笑うことで自分がちょっとだけ偉くなったような気分に浸れた。
いま思うと最低だが、そんな当時の自分の感覚については「90年代サブカルと『#MeToo』の間の深い溝。の巻」(マガジン9「雨宮処凛がゆく!」第447回)に書いたのでぜひ読んで欲しい。とにかく「鬼畜系」がブームとなり、「ひどいことやったもん勝ち」「面白ければなんでもいい」というような1990年代の空気は、2000年代の映像の世界に色濃く存在していたと思う。
サブカルを無批判に消費していた私だが、ある日突然、そういうものすべてが嫌になってしまった。理由はいろいろある。2000年に自分自身が物書きデビューしたこともあるし、06年から反貧困運動を始めたこともある。
私が運動で出会った、生活困窮者を支援する人々には「サブカル臭」がする人が1人もいなかった。人を斜めに見たり嘲笑したりするのではなく、生活に困った人たちを淡々と助ける人たちと多く出会い、そんな中に身を置いて、びっくりするほどほっとしていた。
私の周りにはそれまでサブカル好きしかいなくて、そういう人の前ではいつも「バカにされないように」気を張っていたのだ。だけど、上京して初めてくらいに、自分をわざと意地悪に見せずにいられる場所を見つけた。そのくらいから急速に「もう見たくないもの」になっていって、「なぜ私はあれほど人が傷ついたりするものを笑ってられたんだろう」と自己嫌悪に陥ったりした。そんな頃、手渡されたDVDが『童貞。をプロデュース』だったのだ。
そうして19年、出演者が声を上げ、監督が謝罪した。そこに至るまでの時間が12年。その間に、AV出演強要被害が注目され、多くの人の「#MeToo」があった。これが10年前だったら。「AV女優に無理やり口淫された? ラッキーじゃん!」「ありがたいと思えよ!」で済まされていたはずだ。世間も「喜んでたんでしょ?」と相手にしなかったかもしれない。だけど、時代はやっぱり変わったのだ。
加賀氏のインタビューで心がもっとも痛んだのは、口淫などを強要される場面についてのものだ。《予告編では、該当シーンの一部が“面白い一幕”のように編集されて使われています。》というインタビュアーの問いにこう答えている。
《ぼく自身も「面白いほう」に転がそうとしていたと思います。傷ついていることを見せるのが、恥ずかしいことだと思っていたので。自分自身で面白く見せようとすることで、自尊心を保とうとしたというか、かわそうとした部分があると思います。この件で、高校時代にいじめられて、いわゆる“パシリ”をさせられていた同級生を思い出しました。その人は、いじめっ子に「パン買ってこいよ」と言われて、「ったく、しょうがねえな」と軽口を叩きながら買いにいっていたんです。同じように、ぼくはあの時、本当は泣きたかったのに、“ふざけているように見せたかった”んだと思います。》
19年10月、兵庫県神戸市の小学校で教師4人による同僚へのいじめが問題となったが、激辛カレーを食べさせられる動画では被害者も笑っていた。必死で無理して笑顔を作ろうとしていた。いじめの場面に、そんな「必死の笑顔」はつきものだ。
随分と幼稚なことが、この国では「面白い」とされてきた。被害者、犠牲者を踏みにじりながら。そういうことは、もう終わらせたい。今、改めて思っている。
次回は2月5日(水)の予定です。