近年、日本で大きな社会問題となっていることの一つに「特殊詐欺」があります。警視庁では特殊詐欺について、ホームページで以下のように説明しています。
〈犯人が電話やハガキ(封書)等で親族や公共機関の職員等を名乗って被害者を信じ込ませ、現金やキャッシュカードをだまし取ったり、医療費の還付金が受け取れるなどと言ってATMを操作させ、犯人の口座に送金させる犯罪(現金等を脅し取る恐喝や隙を見てキャッシュカード等をすり替えて盗み取る詐欺盗(窃盗)を含む。)〉
電話口で相手を騙す詐欺は、バブル経済が崩壊した1990年代に「オレオレ詐欺」などと呼ばれて社会問題化。2004年、警察庁が手口の多様化などに対応して、「振り込め詐欺」と名称を統一しました。その後、直接現金を受け取る手口が増えたこともあって、11年からは「特殊詐欺」という用語が使われるようになりました。そうして14年には、特殊詐欺による被害額が当時最高の年間565億円に増加しました。
元神奈川新聞の記者であった田崎基氏の著書『ルポ 特殊詐欺』(ちくま新書、2022年)は、丁寧な取材によってこの特殊詐欺の実態を明らかにしています。これまで特殊詐欺については事件の発生や容疑者の逮捕、被害者の苦痛などの報道が多くなされてきましたが、本著の特徴は「犯人側からの視点」を重視することによって、事件の詳細や背後関係を明らかにしている点にあります。特に加害者の多くが10代後半から20代の若者であることから、現代の若者が置かれている状況を考える上でも多くのヒントを含んでいると思います。
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例えば『ルポ 特殊詐欺』では、次のような事例が紹介されています。
〈横浜市中区にある金融機関のATMの前で現行犯逮捕されたのは上原通雄(仮名、逮捕当時24歳)。起訴された事件は4件だったが、上原はその他にも関わった全ての犯行を自供した。わずか半年で被害者は十数人を数え、盗んだキャッシュカードは約40枚、被害総額は1000万円を超えた。受け子と出し子の両方を担った上原の報酬は1回1万円。約20回の犯行で得たのは20万円ほど。2021年5月、上原に懲役3年6月の実刑判決が言い渡された〉
これは典型的な特殊詐欺の事例です。被害総額1000万円という大きさに驚かされると同時に、犯行の報酬として得られたのがわずか20万円という少なさも注目されます。本件で逮捕された実行犯は末端の存在であり、被害額の大半は指示役、さらには犯罪の首謀者に渡っていることが明らかです。
この事例を読み解くと、なぜ多くの若者が特殊詐欺に関与することになるのかが見えてきます。その特徴はまず、若者が引き寄せられる際の「ハードルの低さ」です。本件では、実行犯の上原が特殊詐欺に加担したきっかけは「闇バイトしませんか?」というSNS(当時のツイッター)投稿でした。偶然投稿を見た上原は投稿者と連絡を取り、「闇バイト」に応募しました。その内容は「自分のスマホを1日貸す」という至極簡単なもので、それだけで1万円がもらえるというものでした。彼は指示通りに運転免許証の写真を送り、指定されたコインロッカーに自分のスマホを入れました。後日、同じコインロッカーに行くと、中には返却されたスマホと約束のバイト料が入っていたそうです。
しかし、そこから指示役の態度が豹変、この簡単なバイトが詐欺に加担する行為であったことが伝えられ、「ばらされたくなければ、こちらの指示に従え」と特殊詐欺の実行を命じられます。
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ここでのポイントは、この時点ですでに指示役に逆らうのが困難な状況がつくられているということです。上原は、自分が特殊詐欺という犯罪を命じられていることに気づいて断ろうとしましたが、命令に背けば運転免許証や顔写真をSNSで晒すと指示役から脅迫され、指示に従わざるを得なくなりました。そこに特殊詐欺の恐ろしさがあります。ごく簡単なアルバイトに若者を勧誘して個人情報を獲得し、その後は個人情報を脅しの材料にして社会経験の浅い相手を詐欺の実行犯に仕立てるという手法です。
上原が最初に指示されたのは「出し子」でした。出し子とは騙した被害者が指定口座に振り込んだ金を引き出したり、被害者から詐取したキャッシュカードで預金を下ろしたりする役割を担う実行犯のことを指します。彼はその後、「受け子」もやらされます。受け子は、被害者と会って現金やキャッシュカードなどを直接受け取る役割を担う実行犯のことを指します。
特殊詐欺のさらなる特徴に、「出し子」「受け子」「ライダー(運び屋)」のように関わる人間を役割ごとに分断することで、ここにも多くの若者を呼び込み規模を広げてきたという点があります。まず犯行を細かく分業化することで各人が実行する内容を単純化し、社会的スキルの低い若者も関与しやすくした点です。簡単な作業に加えて丁寧なマニュアルを用意すれば、10~20代の若者でも高度な詐欺犯罪に加わることが可能となります。
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さらに犯行に関わるメンバーを分断することで、個々人の犯罪意識を希薄化させる構造にもなっています。例えば「騙すだけ」「運ぶだけ」「受け取るだけ」「引き出すだけ」という役割を与え、お互いに関与できないようにしておけば、結果的に大きな犯罪に加担していても「自分は言われた通りに運んだだけ」などと言い逃れができるのです。このことが、特殊詐欺に呼び込まれる若者の裾野を拡大することになります。
そして特殊詐欺における犯人グループの分断化は、警察の捜査活動も困難にします。実行犯同士が相対せず、公衆トイレの個室やコインロッカーなどを指定置き場として詐取品の受け渡しを行うことで証拠は残りません。またお互いに面識がないので、例えば犯人の一人を捕まえても、芋づる式に共犯者を捕えることはできません。これらの巧みな手口によって、特殊詐欺は大きく広がり、かつ現在も根強く続いているものと見られます。
最近、幸運にも『ルポ 特殊詐欺』の著者である田崎氏の話を直接聞く機会がありました。25年9月、「公益社団法人 東京自治研究センター」主催の月例フォーラムで、同氏の講演「青少年の生きづらさと闇バイト~貧困と孤独が襲うネット社会~」が行われました。
講演では『ルポ 特殊詐欺』に掲載された事例の詳細な説明のほか、同著が出版された22年11月以降の状況も知ることができ、得るところの多い有意義な内容でした。そして事態はとても深刻化していることも分かりました。
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田崎氏によれば、特殊詐欺は近年、強盗や殺人へと凶悪化が進んでいるそうです。23年、警察はこの変化した犯行組織に対し「匿名・流動型犯罪グループ」(トクリュウ)と名づけました。さらに警察庁では、トクリュウを「SNSや求人サイト等を利用して実行犯を募集する手口により、特殊詐欺等を広域的に敢行するなどの集団」と定義しています。犯行グループが流動的に形成され、匿名性の高い通信手段等を活用するのがその特徴です。
とりわけ凶悪化を象徴する事件が、22年5月頃から関東地方を中心に日本各地で発生した広域強盗事件(いわゆる「ルフィ事件」)です。本件では、フィリピンの入国管理局に収監されていた4人の指示役が「ルフィ」などの偽名を使い、闇バイトで集めたメンバーに強盗を繰り返させていたことが判明。暴力を伴った凶行によって複数のけが人が出ただけでなく、23年1月には東京都狛江市で強盗殺人事件も発生しました。