「痴漢」という犯罪者もわんさかいる。ちなみに北海道の田舎出身の私は、18歳で上京するまで痴漢とは無縁の日々を過ごしていた。電車通学の経験などなく、夏は自転車、冬はバス通学。そのバスが仮に混んだとしても、田舎ゆえ乗り合わせる人は全員「〇〇さんとこの息子さん」「〇〇ちゃんのお父さん」と最初から思い切り身バレしている。こんな場所で痴漢をするということは、即「村八分」を意味するどころか、孫の代まで「変態の家」というレッテルを貼られ、子孫が後ろ指をさされ続けることと同義だ。
そんな私が上京して驚いたのは、「痴漢は本当に存在する!」ということだった。
それまで、どこか都市伝説のように捉えていたのだ。それほどに「ありえない」存在だった。しかし、それは満員電車の中、どこからともなく現れた。精神的なショックと不快感、拭っても拭っても取れないような汚らしさに「これが都会女子が言ってたやつか……」と愕然とした。そんな痴漢の中でももっとも衝撃だったのは、身動きもできない電車内で触りまくってきた果てに、私が電車を降りる時に一緒に降りて腕を掴み、「遊びに行こう」と誘ってきた男の存在だった。19歳の頃だったと思う。
それは初めて、痴漢が「触ってたの俺だよ」と目の前に現れた瞬間だった。痴漢は恥ずべき痴漢だというのに悪びれた様子もなく、当たり前のような顔で私を誘うのだった。
一瞬ぽかんとしたが、腕を振り払って逃げ出した。心臓がバクバクして、膝から崩れ落ちそうなのを我慢して足早に歩いた。痴漢に声をかけられたこともショックだったが、その痴漢が20代のおしゃれっぽいサラリーマンで、おそらく世間的には「イケメン」の部類に入るだろうこともショックだった。そんな一見「ちゃんとした大人」に見える人が10代の自分に痴漢という犯罪行為をし、悪びれもせずに誘ってくることにまたまた衝撃を受けた。
その男の中では、痴漢とは「ナンパのきっかけ」くらいのものなのだろうか? それとも、痴漢→触られて女が欲情→声をかけてそのままホテルに、というような、都合の良すぎるエロ漫画みたいな世界観で生きているのだろうか?
今の私であれば頷くふりをして一緒に歩き、駅員に「痴漢です」と突き出すだろうが、当時はただただ混乱と衝撃の中にいて、逃げ出すことしかできなかった。それにあの時、もし「痴漢です、助けて!」と声を上げたとして、誰か助けてくれただろうか?
きっとあのような「デキるタイプの男」は「まあまあまあ」とか余裕な顔で笑って、誰も私の言い分なんて信じてくれないのではないだろうか。私は「傍観者」のことが、今も昔も信じられないのだ。
だけど、そんな傍観者にだからこそできることがある。そう教えてくれるのがこの動画だ。ほんの些細なことでいい。別に加害者を叱りつけたり警察に突き出さなくていいし、被害者を命がけで守らなくていい。ただ、見て見ぬふりをせず、その場でできることを勇気を出してしてみるだけで、被害者を少し、救うことはできる。
上京して、30年近く。心のどこかで、見て見ぬふりをし、傍観者でいることが「都会の大人のたしなみ」みたいに勘違いしてた。だけど、そんな作法をして何かがよくなったかと言えば、加害者に「あ、これやってもOKなんだ」という成功体験を与えただけではないだろうか。「誰も助けてくれない」社会で生きられるほど、私たちは強くない。
これからは、少なくとも「見て見ぬふり」はしないでおこう。
動画を見て、改めて、思った。
次回は12月1日(火)の予定です。