そんな亀井氏は、2021年2月18日に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「ETV特集 夫婦別姓 “結婚”できないふたりの取材日記」にて、別姓を望む夫婦に「付き合ってられない」と発言。それ以外にも「国家の恩恵を受けたいなら、ルールに妥協しないと」「夫婦が『姓が一緒だ、別だ』と言うこともない。みんな天皇の子だから一緒」などと「どこから突っ込めば?」的な発言を連発。そういえば森氏も以前、「日本は神の国」と言って炎上したのだった。
さて、子どもや親を大切にしているところがなかなか見えないので、ならば妻は大切にしているのかと言えば、このコロナ禍の緊急事態宣言下で東京・銀座や高級ラウンジを飲み歩いて離党した国会議員4人のうち3人が自民党。別に銀座通いが妻を大切にしないこととそのままイコールだとは思っていないが、飲食店に時短要請が出され、ステイホームが呼びかけられる中、政治生命を失う覚悟で通う場所となると、いろいろと勘ぐってしまうのは私だけではないだろう。
さて、ここまでくると、自民党が大切にしている家族とは誰なのか、それはエア家族、もしくは概念としての家族なのか、それとも非実在家族なのかという疑念がこみ上げてくる。
それでは「助け合う家族」が美しいものかと言えば、そうとは言い切れない現実がある。例えば19年、福井県では夫と義理の両親の3人を殺害したとして71歳女性が逮捕されている。女性は長年70代の夫と90代の義理の両親の介護を献身的にしており、「村一番の嫁」と言われていた。が、自身も体調を崩すなどし、限界が訪れたのだろう。女性には今年1月、懲役18年が言い渡されている。
どれだけ「いい嫁」でも、1人で3人を介護するのは絶対に無理だ。そのような「介護殺人」は、これまでにも多く起きてきた。家族が助け合うことは「美しい」ことではあるが、密室での介護が続いてしまうと、時にこうして悲しい事件に発展する。だからこそ、困難を抱えた家族こそ、「開かれる」べきなのである。
ここで参考になるのは、難病の人たちの取り組みだ。例えば、れいわ新選組の舩後靖彦議員はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患っているが、全身麻痺になり、話すこともできなくなる病気だけに、ALS界隈では様々なノウハウが作り上げられてきた。
呼吸器をつけたALSの人を自宅で家族だけが介護するとなると、過酷な日々が待っている。基本的な介護に加え、定期的に痰の吸引をしないと窒息死してしまうからだ。その介護が家族だけで担われていたとしたら、私だったら1日で音を上げるだろう。仕事どころか外出もできない。それどころか睡眠をとることも、入浴だってできないだろう。トイレだって一瞬で済ませなければならない。
そんな日々が1カ月も続けば、「早く死んでくれないかな」と願ってしまうかもしれない。どんなに大切な人であっても、「家族介護」は時にそこまで人を追い詰めてしまうのだ。だからこそ、他人介護が必要だということを、私は難病の人たちとの付き合いから学んできた。
例えばALSの母親の介護をしていた日本ALS協会元理事の川口有美子さんは、介護を始めて8年目、自分で介護派遣会社を立ち上げている。ALS患者にヘルパーを派遣する会社で、ヘルパーを育てて派遣するほうに回り、母の介護も他人介護にシフト。そうしてどんどんヘルパーを要請することで、仕事のない人に仕事を提供するという雇用創出ができ、家族は介護から解放されるのだ。
それだけではない。ALSの人たちは、これまで様々な交渉をすることで24時間介護を勝ち取ってきた。そこには多く公費が投入されているので自己負担は少なくて済む。
そのような取り組みの果てに、ALSの人の中には一人暮らしをする人も増えている。「全身麻痺でどうやって?」と思うかもしれないが、24時間ヘルパーがいるから安心だ。
実際、舩後議員は議員になる前も今も一人暮らしである。また、ALSは知能には影響がないので、わずかに指などが動けばパソコンを操り、仕事をすることができる。よって、患者の中には自身がヘルパー派遣会社を経営している人も少なくない。舩後さんも議員になる前はそのような形で福祉関係の会社の副社長として経営に関わっていた。
「嘘みたい」と思うだろうが、難病者たちはこのように家族の手を借りずに生き、働き、稼ぐノウハウまで作ってきたのだ。
その何が利点か。それは「家族に勝手に代弁されない」ことだろう。例えば自力で話すこともできなくなった時、家族しか周りにいなければ、あなたの意思は尊重されるだろうか。
今、この原稿を読んで、もし一人暮らしをしたいと思った全身麻痺の人がいるとしよう。その思いを周りに伝えても、家族は「いやいやうちの子/親には無理です」と勝手に代弁しない保証はあるだろうか。それどころか、日常の「小さな代弁」によって、あなたの要望は常に歪められていないだろうか。これはあなたが事故や老いによって寝たきりになった時に必ず直面することでもある。しかし、相手が家族ではなくプロであれば、勝手な代弁はしないはずだ。あなたは一人の人間としての意思を尊重される。
昨年、SMA(脊髄性筋萎縮症)の海老原宏美さんと週刊誌の座談会で話した。その時、彼女は以下のように言っていた。彼女も難病でありながら一人暮らしをしている。話すことはできるが、日常生活のいたるところに介助が必要な車椅子ユーザーだ。
「当事者としても、家族に介護されていたら、あっという間に抑圧されるし、我慢させられます。だから私は家を出たのです。障害者と家族が一緒にいると『利用者』と『ヘルパー』でしかありませんが、離れたら普通の家族になれる。これは大事なことです」(「人工呼吸器、着ける?着けない?『生きている意味』を問わない社会へ」、『週刊金曜日』2020年11月20日)