中学時代には映画『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年、セントラルアーツ)が公開され、高校時代は少年ジャンプで連載されていた『ろくでなしBLUES』(森田まさのり著)などのヤンキー漫画が大人気だった。「なにそれ」という若者に説明すると、トンチキな髪型や服装をした「ヤンキー」という少年少女の、ちょっと(かなり?)粗暴なライフスタイルを描いた作品が人気だったのだ。多くの作品には暴力やリンチ、バイク、セックスだけでなく、未成年の飲酒や喫煙、無免許運転などが当たり前に出てきた。ちなみにそれより少し前には不良少女と親の「200日戦争」を描いた『積み木くずし』(穂積隆信著)がドラマ化されるなど、とにかく「ヤンキー」は時代の中心にいた。
そんなヤンキーは私の中学でも一大勢力としてのさばっており、「タイマン」「カツアゲ」などのパワーワードを発することで「非ヤンキー生徒」を怯えさせていた。彼ら彼女らは「目が合った」だけの理由で「ガンつけた」などと非ヤンキー生徒をいたぶり、金を巻き上げたりするため、とにかく「障らぬヤンキーに祟りなし」とばかりに生徒も教師も怯えていたのである。が、ヤンキーはモテてもいた。
そんな当時、ものすごく違和感を覚えていたことがある。それを、ホームレス状態のカップルのことを考えていて急に思い出したのだ。
それは当時のティーンズ誌。
北海道の片田舎の中高生だった私は高校生でバンギャになるものの、金欠ゆえ、ライヴなどたまにしか行けず基本的にはものすごく暇だった。が、暇はあっても金はない。結果、コンビニで数百円で買えるティーンズ誌を隅から隅まで熟読するということで膨大な暇を埋めていた。
ちなみに当時のティーンズ誌は投稿欄が非常に多く、そこに少女たちの生々しい「実話」が投稿されていたのだが、そのほとんどがセックスに関するもの。「初めてエッチしちゃった」という定番から始まって(相手はだいたいヤンキーの先輩か同級生)、中にはかなりハードな話もあった。投稿しているのはみんな10代女子で、中高生の日記がそのまま掲載されているような投稿欄には、いつも赤裸々な体験が溢れていた。
その中には、今思えば性被害でしかない体験談が当たり前に掲載されていた。しかも告発ではなく、「こんな体験しちゃった」的なノリで。
例えば当時よくあったのが、不良グループに車で拉致されたというもの。もうこれだけで犯罪だし事件だし通報されて当然の案件だが、これは序章でしかない。大抵、山奥など人気のない場所に連れ去られ、輪姦されそうになるのだが、そこでリーダー格のヤンキーに「俺の女になれよ」と迫られるのである。混乱しながらOKすると、「こいつ、俺の女になったから」とみんなに宣言するリーダー格。そのことによって自分は輪姦から逃れ、そこから救ってくれた彼と付き合うことになってハッピー、私を守ってくれた男らしい彼にゾッコン、みたいな内容である。
そのような投稿はある意味「定番」と言っていいほどよく目にするもので、読むたびに、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。
彼のした行動は、果たして「男らしい」のか? 守ってくれたって言うけど、もともと10代女子を拉致しているグループのリーダーである。しかも、そんな状況で「俺の女になれ」って、「このまま複数にレイプされるか、一人で手を打つか」って話で、OKしか選択肢がないではないか。
と、ものすごくもやもやしたのだが、当時の私にはそれを言語化する力もなく、またヤンキー全盛期の世間は「乱暴さ」が「男らしさ」と直結するような価値観に満ちており、実際、周りにもその手の話は噂レベルではよくある話で、もやもやしながらもそのようなことは忘れていき、気がつけば10代でなくなり、いろいろしているうちにあっという間に30年以上が経過。で、冒頭に書いたような「もし、自分が路上に出たら」と想像した時に「やっぱ、より安全そうな男とつがいになるかも」などと考えていたところ、突然、10代の時に読んだ少女たちの投稿を思い出したという次第である。
今、思う。
それは確実に、犯罪被害だと。彼はそこから「救ってくれた」素敵な男などではないと。あらかじめ、その男を選択するしかないような状況に置かれ、自身の身を守るためにやむなくした決断であると。その彼と付き合えてハッピー、と思うのは、自身に起きた悲劇を正当化したいという心理が働いているのかもしれないと。そしてマトモな人間であれば、「その場で彼女を解放、安全な場所まで送って自分は自首」が正解だと。
同時に思うのは、そういう話が珍しくなかった当時、どうして大人たちは「それは被害である」と伝えてくれなかったのかということだ。例えばそのティーンズ誌自体が、そういうメッセージを送ることだってできた。しかし、私の記憶にある限り、そのようなものを目にしたことはない。
そう思うと、つくづく私たちは守られていなかった世代だと思う。当時、中高生のセックスは大人たちからは飲酒や喫煙のように「やったら不良」というレッテルを貼られるもので、「10代の身体を大切にする」「子どもたちの心身を守る」ような性教育はすっぽり抜け落ちていた。
だけど、当時の大人たちに「マトモな性教育」を求めること自体、酷な気もする。
セクハラは当たり前で「男の育休」なんて影も形もなく、空港には「いってらっしゃい、エイズに気をつけて」と、男性が海外で買春をすることが前提のようなポスターが貼られていた時代。
そう思うと、30年で、日本社会は少しは変わったのかもしれない。
2022年の年のはじめ、いろいろと思い出して、そう思ったのだった。