NHK名古屋放送局による、知的障害者・精神障害者の家族へのアンケートだ。
それによると、「自殺や心中を考えたことがある」人は4人に1人という結果になったという。
一方、本当に助けを求めた時、その手が握り返されるのかと言えば、現実は厳しい。
『私たちはふつうに老いることができない』には、入所施設やショートステイの不足のため、「親亡き後」に壮絶な経験をした知的障害の吉田正三(まさみ)さん(58歳)のケースが紹介されている。
もともと父親と二人暮らしだった吉田さん。が、その父親が急死したことで一人取り残されてしまう。近所の人に保護されるものの、どこのショートステイもいっぱいで行き場がない。
結果、5カ月の間にショートステイをなんと66回も移動――という過酷な日々が始まってしまうのだ。結局、なんとか高齢者の賃貸住宅に入れたそうだが、数日ごとに移動し、常に行き場を探すような生活はどれほど吉田さんの心身を追い詰めただろう。
ちなみに本書を読んで、初めて気づかされた視点がある。
現在、国は「ノーマライゼーション」の理念のもとに大規模施設を削減し、「地域移行」を進める方針でグループホーム(GH)などがその受け皿とされている。が、それでいいのか、という視点だ。
「地域移行」は、これまでの障害者運動で掲げられてきた大きな目標である。大規模施設などに隔離せずに、障害者が地域で暮らすこと。私自身もこの方針を前向きに受け止めてきた。
しかし、児玉さんは、前述した「自殺や心中を考えたことがある」家族のうち、半数が病院や施設の整備を望んでいることを指摘。
グループホームに入ってよかったという人もいる一方で、医療的ケアが必要になったら出なければいけないところもあったり、グループホームの生活形態に向いていない人もいたり、人手不足という理由で月に何度も親元に戻されたりといった問題もあるという。そのようなことから児玉さんは、〈地域では在宅生活でもGHでも、むしろ親依存の度合いが深まっている〉と指摘する。
「共生社会」の美名のもと、移行した「地域」で「生身の人間の限界を超えた老障介護を強いられている」親たち。
そんな国の方針について、児玉さんは憤る。
〈「本人の意思尊重」「地域移行」の名のもとに、資源なき地域へ、既に老いた家族のもとへと、これからも介護を押し戻していくということなのだろうか。けれど、二人暮らしの父親に急死された58歳の吉田正三さんが入院するほど体調を悪化させながら66回もショートステイを転々としている間、国も地方自治体も「どうにかして」はくれなかった。「本人の意思を尊重」することもなかった〉
理想や理念が、「絵に描いた餅」になっているという現実。
必要なのは美しいスローガンではなく、実際のニーズに即したさまざまな選択肢なのだと改めて、気づかされた。
さて、先に母親が「助けて」を封じられることに触れたが、その背景にあるのは日常的に投げかけられる言葉や「世の中からの扱われ方」だ。
児玉さんはもともと大学の英語の専任講師だったのだが、「重い障害のある子どもの親になった」ことで、〈世の中からの扱われ方がゴロリと変わった〉と書く。子どものように扱われたり、上から目線で指導されたりするようになったのだ。
それだけではない。医師の中には「起きている間はずっと抱いておけ」「絶対に泣かせるな」など、母親を人間扱いしない指示をする者もいたという。
心ない言葉も投げかけられる。「タバコを吸ったからだね」にはじまり、子どもの名前の「画数がいけなかったんだよ」等々。
「親切」を装った言葉がけもメンタルを削る。
児玉さんは母親仲間から聞いた体験談として、「あなた毎日えらいわねぇ」と大げさに褒められたり、見ず知らずの人から「頑張ってね」と湿っぽい声で激励されたりなどの「あるある」も紹介している。善意の奥の「かわいそうな人」と見下す憐憫、そして差別意識。
また、舅や姑の中には障害への理解がなく、知的障害の子どもの母親に「育て方が悪い」「しつけがなっていない」と責め、「うちの家系にはこんな子はいない」と言う者さえいるという。
そうして責められてばかりいるといつの間にかそれを内面化し、〈息抜きしたいとも思わなくなる〉母親たち。
悲鳴を封じるのはそれだけではない。「我が子の障害をめぐる自責の念」だ。自分のせいで子どもがこうなってしまったのでは、という思いに母親たちは囚われているという。
そんな中、児玉さんの封印を解いてくれたのは娘の主治医だったという。
「お母さん、限界が来てしんどいんじゃないの?」と声をかけ、「ウチの施設に入れたらどうだろう」と提案してくれたのだ。
〈僕たちだっているんだから、僕たちにも海ちゃんの子育てを手伝わせてほしい。障害のある子どもは社会で育てるべきなんだから〉
主治医はこう児玉さんに言ったのだという。そのことによって、児玉さん夫婦は〈「お世話になっている先生があそこまで言ってくれるのだから」と言える言い訳を作ってもらった〉そうだ。
そうして、以下のように書く。
〈自分であの封印を解いて「もうこれ以上がんばりたくない」と口にすることは、私にはそれこそ「口が裂けても」できなかった〉
〈あの時に海の主治医が私の限界に気づき、いわば向こうから“迎えに来て”もらえなかったら、私か海のどちらかあるいは両方が死んでいたと思う〉
ここまで、障害がある子を持つ親について、書いてきた。
なぜこのようなテーマにこだわるかというと、「ケア」は誰にとっても遠い話ではないからだ。