私に子どもはいないけれど、これから親の介護に直面する可能性は高い。それを考えると、自分は「結構いい線いってるのでは」と思う。
長らく障害者運動に関わってきた人たちが周りにたくさんいるので、制度などをかなり知っているからだ。また、「密室介護・家族介護は危険」「絶対に他人を入れて密室を開け」という心構えも叩き込まれている。介護殺人・心中が起こるのは密室・家族介護の現場が多いからだ。こういうことを知っているかいないかは、時に人の生死を分ける。
親の介護でなくとも、自分が病気になった時、また老後を迎えた時に使える社会資源や制度の情報が私の周りにはたくさんある。公的な制度だけでなく、困った時の民間の相談先の情報もかなり知っている。ちなみにそういう情報を一冊にまとめたのが、昨年出版した拙著『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書、2024年)だ。
このような問題に関心を持ったきっかけは、いとこに知的障害があったこと。20代で体調を崩した際、救急車を呼ぶものの病院に「知的障害だから」という理由で拒否されて受診が遅れ、亡くなった彼女がいなければ、私はこの国が隠し持つ冷酷さに気づかないまま生きていたと思う。
そのいとこの母親も10年近く前、亡くなった。
障害のあるなしに関わらず、この国では常に「母親」だけが責任を負わされる場面のなんと多いことか。
そして「ケア」は、家族の中でも特に女性に集中する。一方、介護や保育といった「女の仕事」と思われている職種では、低賃金が当たり前になっている。ここにある、構造的な差別に無自覚でいたくない。
そんな社会が少しずつでも変わっていったら。
冒頭のような悲しい事件は、きっと起こらないと思うのだ。