その食事の席で、彼女は好きな男性に自分の漫画を読ませたら「少女漫画だね」と馬鹿にするように言われたとちょっと悲しそうに笑っていた。魚喃キリコ本人に漫画を読ませてもらってそんな感想しか言えない男なんて何もわかってない、ブン殴ってやりたいと思ったけれど、きっとその人はむちゃくちゃカッコいいんだろうな、と思ったりした。
漫画のあのシーンが好きなんて言うと、彼女は自分が漫画をどうやって描くかまで教えてくれた。技術的なことだ。詳細は伏せるが、それは「え! そんなふうにして描いてるの?」と驚くようなもので、彼女の独特の線はこういうふうにできてるのか……と感動したけれど、やっぱりそういうところが無防備だなぁ、と勝手に心配になったりした。
私は彼女の無防備さが好きだった。
その頃、パーティーなんかで同世代の同性の書き手と会うと、ライバル意識を剥き出しにされるか、「自分が編集者にどれだけ大切にされてるかマウント」をされるか、見下すような態度を取られるかの三択で、なんだか疲弊し、常に緊張を強いられていた。
そんな中、とっくに売れっ子だった彼女には余裕があったからなのか、それとももともとの性格がそうなのか、また私を完全に「ファン」と認識してくれていたからなのか、とにかくフラットに、そして優しく接してくれた。
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と、ここまでいろいろ書いているけれど、私が彼女に会った回数はおそらく10回に満たない。それなのに、これほど細部を覚えているのは、会った後なんかはその思い出を気持ち悪いくらい反芻しまくっていたからだ。明らかに、完全な片思いだった。
あの頃のことですごく印象的なのは、彼女が現れると、周りの男子が異様にソワソワしてたこと。特にクリエイター系やクリエイター目指してます系男子はあの頃、みんな魚喃キリコが好きだったんじゃないかってくらいだった。
特に最初に会った映画のトークショー後の飲み会にはそういう男子が何人かいて、なんかもうこっちが恥ずかしくなるくらいに魚喃キリコを意識していた。
また、そういう系男子に「魚喃キリコと会った」なんて話すと、「どんな人?」と前のめりに聞かれることも多かった。その頃の彼女は、そういう人だった。
そんな彼女と最後に会ったのは、やっぱり下北沢。2000年代半ば頃だと思う。
なんで私が下北にいたのかわからないけど、一番メインっぽい通りを歩いていたら、「おお!」と声をかけられた。見ると魚喃さんで、横には男の人がいた。魚喃さんはその人を指さすと、「これ、○○!」と苗字を呼び捨てで言って、その言い方が本当に魚喃キリコの漫画に出てくる女の人のような言い方で、その後少し話して、「またねー!」みたいな感じで別れた。
それが最後に彼女を見た瞬間。
その後、『strawberry shortcakes』が映画化され、その映画評を書くことになり、私はある文芸誌に「みんな惨めで、みんな愛しい」というタイトルの原稿を書いた。
あの漫画にも映画にも、確実に、彼女の漫画を貪るように読んだ頃の私がいた。まるで冷凍保存から一気に解凍されたように、あの頃の、ちっぽけで意固地で、全方向に敵対心を剥き出しにした近い過去の私がいた。
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結局、私は一読者で一ファンで、彼女の詳しい人となりなどまったく知らない。彼女を「キリコ」と呼ぶ、近しかった人でさえも眩しいくらいに。
だけど、とにかく熱烈に漫画を読んでいた、ということに関しては自信がある。
今も彼女の絵を見ると、あの時の苦い思いが蘇る。何もなくて焦ってて、いつも何かが足りなくて不機嫌で、お金もなくて、自分の近い未来が不透明すぎて、愛されたくて仕方ないのにそんなこと口が裂けても言えなくて、何かを埋めるようにいろんな人を好きになって、時に裏切られて自分も裏切って、若さゆえに傲慢で残酷で。
05年に出した拙著『ともだち刑』(講談社)という小説の表紙は、魚喃さんの絵を使わせて頂いた。上履きを履いた女の子2人の足が並ぶ、印象的な絵。どうしても表紙は彼女の絵にしたくて、編集者を通して依頼したら快諾してくれた。
そんなふうに、会ったり会わなかったりしながら関わり続けた数年間。
06年から私は貧困問題に関わるようになり、私の本棚のメインの場所にはそういう本が並ぶようになった。そうして私はいつからか自己防衛の術を覚え、振り回されるような恋愛は最初から回避するという器用さも身につけていった。だから恋愛でボロボロになるなんてこともなくなり、だからこそ、彼女の漫画を開くことは減っていった。そうして20代のフリーターだった私は気がつけば50歳になっていて、去年の年末、魚喃さんの訃報を知った。
訃報に触れたすべての読者は、あの頃の自分を思い出し、ずいぶん遠くまで来たことを静かに噛み締めたのではないだろうか。
そんな魚喃さんについて、誰もが好き勝手にゴミみたいな言葉を吐くSNSなんかには決して書きたくなくて、こうして原稿を書いた。
あの頃の私に、彼女の漫画が寄り添ってくれたことに、心から感謝します。