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そんな女子高生ブームは数年で去った。街からブルセラショップは消え、「チョベリバ」「チョベリグ」という言葉は光の速さで死語となり、いまだ「あの時代」の検証などは行われず、なんとなくうやむやになったまま時代は令和になった。
そうして「援交」はいつからか「パパ活」に名前を変えたが、最近、売春防止法改正の議論を巡り、これまで透明だった「買う側」への処罰を求める声が大きくなっていることをご存知だろうか。
そのような情勢を受け、さまざまなメディアが売買春などについての記事を多く発表しているのだが、最近読んだある記事に、ちょっとした衝撃を受けた。
それは2026年3月31日に朝日新聞デジタルで公開された「やめられぬ性風俗『向こうも仕事』 売春防止法改正は『関係ない』」。
この記事で扱われるのは、売春防止法ではなく風営法のもと性的サービスが提供される性風俗産業だ。が、「性を『買う』とは何なのか」という問題意識のもと、「東日本に住む30代後半の男性」を取材している。
この男性が初めて風俗店を利用したのは大学の卒業旅行。が、大学時代から誕生日の友人に風俗店の料金をおごる習慣があり、それは「ピンクを贈る」と呼ばれていたという。社会人になってからは数カ月に一度の頻度でデリヘルを利用するようになり、妻子がいる今もそれは変わらない。部屋に来た女性が「デリヘルなんて嫌だ」と泣いたこともあるそうだが、取材に対し、「大変な仕事だと思うが、向こうも仕事だから」うしろめたさを抱いたことはないと答えている。
彼はデリヘルを「フードデリバリー」にも喩(たと)えており、淡々とした語り口に結構な衝撃を受けたのだが、おそらくこのような感覚は「日本の性産業に疑問を持たないタイプの男性」の最大公約数なのだろうとも思う。
「向こうも仕事」、確かにそうだ。また、私がこれまで耳にした肯定論の中では「金を払っているのだからその人を助けていることになる、金も払ってない部外者が口を出すな」という意見もあった。
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当たり前に性風俗を肯定・利用する男性を「ひどい」と断罪する人もいるだろう。が、彼らのそんな「当たり前」がどこで形成されたのか考えていくと、思い当たる節は多くある。なぜなら昭和50年生まれの私は、小さな頃からテレビなどで「男なら風俗に行くのが当たり前」という価値観に触れてきたからだ。多くのタレントがそういうことを公の場で語る光景があり、また社会人になった同世代男性が「上司に風俗に連れていかれた」と普通に口にする姿も目にしてきた。それが嫌だった、という人もいれば、「ラッキーな話」として語る者もいた。
このような男性に、性売買や処罰の是非などについて聞いても、ポカンとするのではないだろうか。ある日突然フードデリバリーが違法になるかも、と言われても多くが「なんで?」という反応をするように。しかし今、このことを巡ってさまざまな議論がなされている。
その中には「セックスワークイズワーク」派もいれば、買春処罰派、またセックスワーク廃止派もおり、もちろんそれ以外にもいろいろなスタンスの人が多くの意見を戦わせている。私自身はそれぞれの主張を読んで理解に努めるのが精一杯というレベルなのだが(前回の連載原稿で書いたように、とにかく今は何に対してもじっくり時間をかけて考えたい)、そのような議論とはまったく別次元で、自分がもし男だったら、いや、女性用風俗もあるので男女がどうとか関係なく、決してお金を払って性サービスを受けることはないだろう――という確信がある。
それはポリコレとか倫理とかモラルとかイデオロギーとかそういうこととはまったく関係ないもので、ただただ「自分が行ったら相手が嫌だろ」という一点に尽きる。
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「唐突に何?」と思った人もいるかもしれない。が、学生時代のいじめが原因なのか、私の中には常に「自分は生きていてはいけない」という思いが根強くある。同時に自分がいることが多くの人にとって迷惑で不快で耐え難いことであるという思いも刷り込まれており、とにかく自分はキモくて汚物、というのが自己認識の一番目なのだ。その上、対人恐怖もこじらせている。
周りにもそんな人が多い。特に10代から20代にはリストカットやオーバードーズを繰り返すという「死にたい界隈」で過ごしてきたので同類が多い環境だったし、今も私の人間関係の一部はそこにある。そんな人々の多くはひきこもりだったり働けなかったりと生きづらさを抱えているわけだが、男性の場合、一度は近しいおじさんに「ぐだぐだ言ってないで風俗でも行ってこい!」みたいな北方謙三的アドバイスをされている。が、そもそも自らの存在が迷惑で、自分が極端に汚いと感じているような人たちが「そうします」となるはずもなく、「何も考えずに風俗とか行ける人になれたら楽なんだろうな……」という呟きを聞いたこともある。
また、私の中には「迷惑だから行かない」と並んで、「自分のキモさゆえ相手にひどい態度を取られて傷つくに決まってる」という思いもある。
そう思うと、「行ける」人はどういう心境なのだろう、と純粋に思う。自己肯定感が高いのか、自分はイケてると思ってるのか、あえていろいろ考えないようにしてるのか。
というか考えてみると現在、性風俗の値段は一律だ。客によって変わることはない。だけどこれが、サービスを提供する人の「嫌度」によって値段が変わるシステムだったらどうだろう。
清潔感をはじめとして、態度とか、あるいはもろに容姿とかで「買う側」がジャッジされるシステムだったら。もちろん、嫌と思われるほどに値段は上がっていく。こんな形だったら、男女ともに絶対行かないのではないだろうか。そう思うと、「性を買う」場で、買う側は絶対に傷つかないようなシステムになってるんだなぁ……とも思う。その一方で、買われる側はいくらでもチェンジさせられる。