イギリスを拠点に世界でドキュメンタリーを製作する伊藤詩織さんによる連載がスタート。第1回は、伊藤さんが約5年をかけて製作中のドキュメンタリー映画『ユーパロのミチ』の舞台、夕張について。財政破綻、超高齢化、人口減少など、課題山積の元炭鉱の町に生きる人々が教えてくれたこととは。
なぜ、夕張なのか? そう聞かれたら「夕張が好きだから」とだけ答えることができたらいいのだが、実際に振り返るときっかけは他にあった。2015年6月8日、私はベルリンの友人宅にいた。突然鳴った電話は+81番という国番号だったため日本からだと、ひと目でわかった。その日がどういう日か心得ていたので、直ぐに路地に飛び出て、西日を背中に感じながら電話に出た。
電話の向こうで、捜査員はただひたすら私に謝った。逮捕をするべく、空港でその人を待っていたときに警視庁のトップからストップがかかったという。そんなことがあるはずはない、と信じたかったけれど、捜査員が嘘をつく理由はなかった。
自分がここまで小さく、無力に感じた日はなかった。
当局、司法、正義、これから何を信じていけばいいのだろう。確実だったのは、日本に帰ったら、私が当時勤務していたロイター通信の隣にあるTBSでその人は働いているということだ。この業界で働けなくなるなんてことでは済まないかもしれない。その日から、私にとって東京は安心できる場所ではなくなってしまった。
準強姦の被害届を出したいと捜査員に頼んだ時、「もう日本のメディアでは働けなくなる。今までの努力が水の泡になるかもしれない」と、心のどこかで恐れていたことを耳にした。ジャーナリストになるという夢を諦めるのか、それとも、たとえ真実を追う仕事に背くことになっても、夢を叶えるために事実を「なかったこと」にするのか。これから社会へ出ようとしていた私には、大きな選択だった。
「海外のメディアで働けば大丈夫」
どうしたら日本人国籍の自分が海外のメディアで働けるのか。全く見当はつかなかったが、ジャーナリズムはどこにいても必ずできるはずだと信じ、夢も、真実も諦めないという選択をした。
私は海外メディアとの仕事を必死に探して、様々な取材企画を考えた。企画が通ったテーマの一つが孤独死だった。高齢化社会というトピックは、海外メディアから注目されやすい。そんなとき、北海道の夕張を取材していた友人、メグミが夕張に一緒に来ないかと誘ってくれた。超高齢化、財政破綻、メロン……当初はそんなことしか夕張のことを知らなかったが、これも海外メディアが興味を持ってくれそうな企画だと感じ、夕張を訪れることにした。
夕張の名前の語源は「ユーパロ」、アイヌ語で鉱泉の湧き出る場所という意味だ。江戸時代までは、アイヌの人々も多くこの土地に住んでいた。1891年以降、「黒ダイヤ」と呼ばれた石炭が夕張の鉱山から掘り出されるようになると、鉱山に新しい生活を求めて日本各地から多くの労働者が集まり、ピーク時の1960年には12万人近くの人口で賑わった。
しかし、石炭から石油へのエネルギー転換や相次ぐ炭鉱の爆発事故などにより、1970年代以降、夕張の炭鉱は次々に閉山していった。
それでも夕張市は、「炭鉱から観光へ」というスローガンを掲げ、転換をはかった。世界的に有名なゆうばり国際ファンタスティック映画祭は最後の炭鉱が閉山した年、1990年に始まった。次々に建設されたスキーリゾートや遊園地などの娯楽施設へ向かう道は、車で渋滞していたという。しかし、人口の減少により税収が大幅に減るなかで、観光施設などへ投資し、さらに不適正な会計処理で赤字を先送りし続けた結果、夕張市は2007年に353億円の赤字を抱えて財政破綻した。
仕事を求めて夕張へ集まってきた人々が夕張を去り、現在の人口は8000人台を割ってピーク時から約15分の1にまで落ち込んでいる。働き盛りの世代は仕事が減少した夕張からは離れ、住民の半数以上が65歳という、「日本一高齢化した市」として知られるようになった。日本は世界で最も高齢化が進んでいるので、おそらく「世界一高齢化した市」といえるだろう。
「世界一高齢化した市」とは、どんなところなのか。様々な思いを抱きながら2015年9月に初めて夕張を訪れた。青と赤の屋根が均一に並ぶ古い炭鉱住宅や、かつて映画の町として知られた本町地区には、手書きの映画看板があちこちにある。まるで時が止まっているかのような町。ところが、その町で出会う人々には驚くほどの活気があった。
見知らぬ人が家の前の道でカメラを回していたら、普通は不審に思うだろう。でも、夕張の人々は違った。私たちを見かけると小走りで寄ってきてお菓子やオロナミンCを差し出してくれるおばあちゃん、ご飯を食べていきなさいと家に招いてくれる人。取材をすればするほど、「シャッター街」や「ゴーストタウン」といったイメージは覆されていった。人々がなんといっても元気なのだ。