一人歩きした電事連の試算
日本の原子力政策は主に三つの理由で推進されてきた。一つは、火力にかわるものとしてエネルギー安全保障上必要だということ。もう一つは、他の電源より相対的に発電コストが安く、経済性があるということ。そこに、近年は、二酸化炭素の排出がないため地球温暖化対策になるという点が加わった。「原子力は安い」という裏付けには、日本の電力会社10社で構成される電気事業連合会(電事連)の「モデル試算による各電源の発電コスト比較」(2004年1月)が引用されてきた。各電源を同等の条件で運転した場合、原子力の発電コストは5.3円/キロワット毎時(以下同)で、水力11.9円、石油10.7円、天然ガス6.2円、石炭5.7円と比べ安いというものだ。この数字は、エネルギー政策に強い権限を持つ経済産業大臣の諮問機関、総合資源エネルギー調査会電気事業分科会コスト等検討小委員会で報告され、原子力の経済性を強調する材料として一人歩きしてきた。
しかし、これはあくまで「モデル試算」であり、発電施設の運転期間や稼働率など、前提条件の置き方によって結果はいかようにも変わる。また、国家からの資金投入など社会的コストも含めた“本当のコスト”を表したものではない。
そこで、本稿では、原子力の商用発電が始まった1970年以降約40年間の「実績値」をもとに、本当のコストを検証する。
原子力は安くなかった
原子力の発電コストは、大きく分けると次の四つから成り立っている。まず、(1)燃料費などの「発電に直接要する費用」と、(2)使用済み核燃料の再処理費などの「バックエンド費用」。これらは料金原価に算入され、電力料金を通じて消費者が負担している。ただし、後で詳しく述べるが、バックエンド費用は極めて過小評価されている。
これに加えて、(3)一般会計、エネルギー特別会計等を通じた「国家からの資金投入」がある。これら税金は実質的に国民による負担だから、発電コストに含めるべきである。
さらに(4)「事故に伴う被害と被害補償費用」も本来は含めるべきだが、少なくとも(1)~(3)は確定した費用だから、過去の実績値としてはこの3つを検証する。
(1)と(2)に相当する電源別の発電単価は、各電力会社が年度ごとに出す「有価証券報告書総覧」から算出できる。料金原価に算入されている各種項目を電源別に振り分け、総発電量で割ればよい。
1970~2007年の電源別発電単価を比較すると、原子力は8.64円、火力9.80円、水力7.08円であり、原子力の単価は言われるほど安くなかったことがわかる。
また、水力は一般水力発電と揚水発電に区別して考える必要がある。揚水発電とは、主に原子力の電力調整に使われる施設のことで、出力調整ができない原子力の夜間余剰電力で水をくみ上げておき、日中落として発電する。すなわち、揚水は大半が原子力と一体で運営されているとみなすことができる。そこで、原子力と揚水を合算すると発電単価は10.13円となり、どの電源よりも高いことになる。
このように、過去38年間、原子力はけっして安い電源ではなかった。しかも、この単価には、一般会計やエネルギー特別会計など(3)「国家からの資金投入」が含まれていないのだ。
税金で穴埋めされてきた原子力
では、(3)「国家からの資金投入」を含めるとどうなるのか。電源別に計上されている財政資料は存在しないため、「國の予算」(各年度版)を基礎に、一般会計と特別会計の費用項目を可能な限り電源別に再集計して算出した。それぞれの電源に投入された研究開発費と立地対策費を発電量で割って平均単価を出すと、原子力2.05円、火力0.10円、水力0.18円となった。原子力がいかに財政的に優遇されてきたかがわかるだろう。これを図表2で示した電源ごとの発電単価に加えると、発電にかかる“本当のコスト”が明らかになる。結論を言えば、原子力は10.68円であり、火力9.90円、水力7.26円よりも高い電源である。また、原子力+揚水であれば12.23円といっそう高い。
したがって、1970~2007年の実績で比較した結果、原子力は料金原価に算入されている部分だけを見てもけっして安い電源ではなく、国家からの資金投入を含めれば最も高い電源だったことになる。
増え続ける「バックエンド費用」
それではここで、前述の原子力発電に伴う「バックエンド費用」について見てみよう。原子力のバックエンド部分、すなわち使用済み核燃料の“後始末”には、直接処分するか、再処理をして核燃料サイクルに用いるか、二つの選択肢がある。日本は原子力の導入当初から全量再処理を掲げてきた。
ただし、バックエンド部分には膨大なコストがかかる。電事連が04年に示した推計によれば、青森県の六ヶ所村再処理工場で使用済み核燃料の再処理等に要する費用は40年間で18兆8000億円に上る。しかし、この巨額な見積もりでも不十分である。
たとえば、六ヶ所村の処理能力はウラン換算で年間800トンだが、使用済み核燃料の発生量は年間1000トン以上。しかも、推計では施設の稼働率を100%としているが、フランスのアレバ社の再処理施設でさえ07年の稼働実績は56%だ。その上、これまでの操業で発生した大量の使用済み核燃料も残っている。つまり、全量再処理には二つ目の再処理工場が不可欠だが、建設のめどすら立っておらず推計にも入っていない。
こうしたことから、バックエンド費用の推計はおおざっぱに見積もって2倍の約40兆円、実際はそれ以上に膨らむ可能性がある。しかも、再処理によって得られたウランとプルトニウムを混ぜてつくるMOX燃料は、ウラン換算で9000億円分程度の価値しかなく、あまりに費用対効果が低い。
原子力に経済合理性はない
以上の検証から、原子力はそもそも経済的に自立することができない発電コストの高い電源であり、国が支えてきたからこそ成り立ってきたと言える。そして、「バックエンド費用」で見たように今後さらなるコスト増が見込まれる要素もある。しかも、3.11で明らかになったように、ひとたび事故が起きれば賠償や除染など膨大なコストがかかる。すなわち、原子力は一民間企業ではとても維持できるものではなく、市場経済という面から見ても本来は運用に耐えない、経済合理性のない電源である。もはや泥沼状態にある核燃料サイクル事業も含め、全面的な見直しが必要なのは言うまでもない。
原子力には現在も毎年3500億円程度の国家からの資金投入が行われている。この大元を絶ち、その分を再生可能エネルギーの開発や利用に振り向けて、市場経済の中で成り立つ電源に育てるなど、根本的なエネルギー政策の転換が求められている。