「希望と絶望が共存する場所、アラル海に魅せられて(前編)」からの続き。
――旅人としても共通点の多い二人の話題は尽きない。テーマは次第に、アラル海から中央アジアへと広がる。
訪れてわかった、アラル海の「不思議」
宮内 今は大アラル海の復活はなかなか難しいだろうということで、南部を湿地化する計画が立てられていると聞いていますが。
地田 そうですね。大アラル海に流入していたアムダリヤ川の水量が減り、湖にたどり着く前に途切れてしまっているんですが、その周辺に貯水池を造るとか、湿地を整備してそこを緑化するなんてことも現に行われています。大アラル海が縮小していくことは間違いないんですが、どうやら地下水が湧き出ているらしい。外から流れ込んでないのに、なぜか水位の減りが遅い。
宮内 なぜか水があるんですよね。不思議ですよね、アラル海って。
地田 そう、とても面白いんですよ(笑)。その面白さを見事小説にしていただいて、本当にありがとうございますという感じです。
中央アジアって、どこ?
宮内 それはそうと、私の本の読者の方の感想を見ると、中東で女の子たちが頑張る話だと受け取ってしまう人が多かったのでした。実は中央アジア自体があまり認知されていなかった。もし中東が舞台だと思われているとしたら、この物語はまったく成立しなくなってしまうので困りものでした。
地田 ああ……確かに。イスラム勢力が出てくるからなのかな。
宮内 いいところなので、まずは中央アジアの存在をもっと広めたいのですが……。大体インドとロシアに挟まれたぐらいの地域といっても、これはこれでややこしい。どうしたものかと。
地田 中央アジアの定義って、学術的な定義でも、それほど固まっているわけじゃありませんが、狭義で言えば、旧ソ連の5カ国ですよね。ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、トルクメニスタンなんですが、日本中央アジア学会では、これに加えて中国のイスラム地域とロシアのイスラム地域をひっくるめている。新疆ウイグル自治区とか、タタールスタン、バシコルトスタンといった周辺地域の人も中央アジアに入っていいよみたいな感じですね。
宮内 言語的にはおおむねテュルク語派でしょうか。タジキスタンはペルシア語族ですが。ウズベク語の最低限の日常会話を覚えたら、案外、周辺国でも通じ合ったりしました。宗教的には世俗的なイスラム教でしょうか。
地田 そうですね。つまり飲酒もアリのゆるいイスラム教。宮内さんの小説にも「かけつけ三杯のウォッカ」が登場したので、今日は知人からもらった「カラカルパクスタンのウォッカ」を持ってきました(笑)。
宮内 おお、これですか。これが広まったのはソビエトの力というか、ウォッカそのものの魔力でしょうか(笑)。
アラル海は世界の縮図
地田 中央アジアの人々は、ソ連時代には大変な苦労を強いられてきたわけですが、実際現地の人々と接触してみるとたくましいですね。
宮内 それは私もどこへ行っても感じました。ましてやアラル海はある意味、人類的実験の地であったわけです。その結果海が干上がり、環境破壊やら人々への災厄をもたらした。それでもとにかく人々は生活をする。あちこちの国を旅してみて、私が密かに得た結論の一つに、「生活最強」があります。
地田 ええ、たくましい。この本の中にもたくさんの遊牧民が出てきますが、海を取り上げられた人々は、そこに戻るんです。ものすごく大変な思いをしてきても、それに対して順応していく力を持っている。現地にいるとその力を僕は感じます。そこに適応する力、レジリエンスというか、人間はそういったものを持っているんだなというのを強く感じます。
宮内 そういえば私たちも私たちで、敗戦後の巣鴨プリズン跡のすぐそばに「乙女ロード」を打ち立てて、たくましくやってるわけでして(笑)。
地田 僕が宮内さんの小説でいいなと思うのは、アラルで起きたことを一義的に「悲劇」という見方をしていないことです。
スーフィズム
イスラム教における神秘主義哲学のこと。
ニヤゾフ
1940~2006年。トルクメニスタン初代大統領。