昨今、日本の学校で「下着の色は白のみ」「生まれつき明るい髪色の生徒は黒に染める」など、理不尽なルールや指導が行われ、社会的に問題になっている。だが、そうしたルールを子どもの側から変えることは難しく、異議申し立てをしても、学校側からは「まず義務を果たしてから」と突き返されがちだ。だが、子どもが自分に関わる事柄について声を上げることは、日本も批准している国連「子どもの権利条約(Convention on the Rights of the Child。日本政府訳では「児童の権利条約」)」にも明記されている権利である。子どもの権利が守られるべき場所であるはずの学校で、なぜ子どもの意見が聞かれないのか。その背景には「権利の主張=わがまま」と捉える日本人の人権意識があると、今年5月に日本人で初めて「国連子どもの権利委員会」委員長に就任した大谷美紀子弁護士は指摘する。
そもそも「子どもの権利条約」とは何か、「権利の主張」と「わがまま」はどう違うのか、そして「子どもの権利」を日本で根付かせるために必要なことについて、大谷氏にうかがった。
※「子どもの権利条約」の条文等は、国際教育法研究会訳『解説教育六法2015年版』(三省堂)より引用。「子どもの権利条約」の条文には、日本政府訳やユニセフ抄訳もある。
「子どもの権利条約」とは何か
国連「子どもの権利条約(Convention on the Rights of the Child)」は、18歳未満のすべての個人(子ども)を対象とした前文と54カ条から成る国際的な人権条約です。大人に認められているのとほぼ同じ権利のほかに、発達する権利、暴力からの保護、親から引き離されないことや、意見を聞かれる権利など、特に子どもの権利として定められた権利もあります。現在、アメリカを除くすべての国連加盟国と、加盟国以外もあわせ、196の国と地域が批准しています。
子どもの権利自体は、第二次世界大戦以前、国際連盟の時代からある概念です。1924年「ジュネーブ子どもの権利宣言」では、「すべての国の男女は、人類が子どもに対して最善のものを与える義務を負う」と謳われました。子どもを武力紛争や飢餓において最も脆弱な存在ととらえ、国際社会としてもっと子どもを守ろうという思想が出発点になっているという点が、他の人権条約と若干違うところです。
戦後になると、国連(国際連合)は1948年の「世界人権宣言」で「すべての人に人権がある」ということを謳います。「すべての人」にはもちろん子どもも含まれています。ただし、この時点では、子どもとはまだ、戦前と同じく保護の対象であり、権利の主体ではありませんでした。1959年の国連「子どもの権利宣言」もその流れでつくられたものでした。
その後、「世界人権宣言」が謳う「すべての人」に含まれているはずにもかかわらず、女性や子ども、障害者、先住民族などの社会的弱者の人権が十分に守られていない実情を踏まえ、それらの人々の人権についての議論が盛んになり、女子差別撤廃条約(1979年採択)など、個別の条約や宣言がつくられるようになります。
子どもの権利条約もその一環で議論が始まり、1989年の条約採択まで10年にわたる議論の中で、子どもを保護の対象から権利の主体に位置づけるという大きな転換を迎えることになりました。子どもの権利条約では、子どもも大人と同じようにひとりの人間として人権があり、生命への権利(第6条)、表現・情報の自由(第13条)、思想・良心・宗教の自由(第14条)、健康・医療への権利(第24条)などを生まれながらに持っているということを明確に示しています。