民主党政権時代までの景気に戻るのはごめんという意識
本稿執筆時点(2016年9月末)までで安倍自由民主党は4度の国政選挙で圧勝し、目下内閣支持率は報道各社軒並み上昇している。なぜか。選挙のたびに毎回見られる調査結果であるが、16年夏の参議院選挙での出口調査でも、多くは景気・雇用や社会保障を重視して投票したことがわかっている。他方、朝日新聞の出口調査では、比例代表で自民党に投票した人のうち、32%は改憲の必要はないと答え、憲法問題を最も重視した人は5%にすぎなかった(7月11日付朝刊)。憲法問題についての安倍政権の姿勢に賛成でない多くの人が、景気のために自民党に投票していることがわかる。特に若い世代で自民党に投票した割合が多かったことが話題になったが、各社出口調査では10代でもわずかに改憲反対の方が多い。自民党に投票した理由は、やはり景気・雇用を重視する比率が特に若い世代に多かったことを見れば歴然としている。
1990年代末以降、長期不況と、小泉改革を典型とする新自由主義的改革によって、どれだけ多くの人々が苦しんできたか。今、食物エネルギーの平均摂取量は戦後すぐの水準に満たない。20代に限っても低下傾向で厚生労働省基準値に満たず、それが失業率と逆に動いている。児童ポルノ・児童買春被害者数は失業率と同じように動き、性感染症である淋菌感染症増加のデータからも、景気との関連をうかがわせるものが得られる。つまり経済的苦境から身体を売っている女性がいると推測される。男性の場合、失業率と自殺死亡率は非常に相関が高い。一時は、戊辰戦争(1868~69年)の奥羽越列藩同盟側戦死者に匹敵する数の、不況によると思われる50代自殺者を毎年出し続けていた。もちろん、不況の上に小泉新自由主義改革もあずかって、雇用の非正規化でワーキングプア化が進んだことも人々を苦しめてきた。
これは民主党政権期も同じである。雇用の非正規化は民主党時代にも進行した。正社員は減り続けた。賃金も名実ともに、リーマン恐慌後の底からわずかに戻しただけで、あとは減り続けた。民衆のために公金を費やす公約は財源不足と言って尻すぼみになり、最後には消費税増税を決めて自爆した。雇用はリーマン恐慌後からほとんど増えなかった。
安倍政権発足後は一転、雇用者は平均月4万人ペースで増加し続けている。正社員数も実質賃金も近年増加傾向に転じている。毎年の意識調査結果を見れば、「景気が悪化した」とか、「ゆとりがなくなってきた」と答える割合は、民主党政権期よりも安倍政権期が確然と減っている。
つまり、どんなに目前の景気がぱっとしなくても、「民主党政権期までの不況時代に戻るのはまっぴらごめん」という意識が、安倍自民党を支えているのである。
若者が自民党に投票する割合がとりわけ高いのも、就職できるかどうかが人生を決める一大事だからだろう。大卒実質就職率が去年からリーマン前水準を超えて7割台に達しているが、これが元に戻ることへの恐怖は大きい。
14年の都知事選挙で、小泉純一郎元首相と民主党が推した細川護熙候補が惨敗したのは、過去の経済への有権者の拒否感の表れだろう。それに対して、左から宇都宮健児候補が、右から田母神俊雄候補が、それぞれ民衆の生活のためにお金を使うことを唱えて、予想を大きく超える躍進をしたのである。自民党が推す舛添要一候補が勝てたのも、福祉の充実を全面に出して訴えたからである。
欧州左翼の常識は緩和マネーで「反緊縮」
新自由主義的政策を掲げる主流右派と、それを多少緩くしただけの中道派への反発が広がり、それに対する左右からの異論が、民衆のために公金を使うことを唱えて躍進していることは、目下のアメリカ大統領選挙に見られるように、世界的な潮流である。特に、欧州における、中道社会民主主義政党に対するもっと左からの批判勢力からは、“中央銀行が金融緩和で作った資金を使い民衆のために政府支出する”という主張が常識のように語られている。彼らは一様に、現行の欧州中央銀行による量的緩和を、ただ銀行に資金をためるだけで実体経済に行き渡らず、貧富の格差を増すだけと批判するのだが、量的緩和自体には賛成している。作った資金の流し方が問題だとしているのである。拙著『この経済政策が民主主義を救う』(16年、大月書店)で、筆者は、イギリス労働党最左派のジェレミー・コービン党首の掲げる「人民の量的緩和」をはじめ、EU(欧州連合)の共産党や左翼党の連合である欧州左翼党、スペインのポデモス、欧州の労働組合の連合である欧州労連などが、中央銀行が政府財政を直接支えるべきだと主張していることを紹介した。その後知った情報では、ドイツ左翼党設立者の一人オスカー・ラフォンテーヌ元蔵相が、中央銀行の財政直接融資の禁止規定を無視せよとして、政府への直接融資とヘリコプターマネー型政策を提唱する論説を書いていたり、12年フランス大統領選の共産党・左翼党等の統一候補ジャン=リュック・メランションの公約が、欧州中銀による政府への低利ないし無利子での直接融資だったりという例がある。
ヘリコプターマネーとは、返済する必要のない国債を、中央銀行が政府から直接買い入れて財政をまかなう政策のことで、狭義には、特にそうやって発行した通貨を市民に直接給付することを指す。ヘリコプターからカネをばらまいたらどうなるか、という経済学者ミルトン・フリードマンの寓話が由来となっている。
欧州左翼党はその後もこの姿勢を強めており、16年6月に出したアクションプランでは、欧州中銀を「投資開発銀行」に転換してユーロ圏の各国や中小企業に資金を貸すことを求めている。彼らは、欧州中銀の独立性を批判して、選挙で選ばれた者と労働組合の代表が意思決定に関与すべきだとしている。同月には、欧州議会の左派3会派の18人の議員が、欧州中銀に対して、「ヘリコプターマネー」導入を検討するよう求める書簡を提出している。こうした姿勢が、政府債務が膨らむ中でも民衆のために大胆に支出することはできるという主張に説得力を与えている。
左からの反緊縮がなければ右からの反緊縮へ
それに比べて、中道政党への支持が衰えるのは同じでも、日本が欧米の例と違うのは、過去に新自由主義政策を推進した主流右派政党である自民党が景気刺激に姿勢を転換して支持を集める一方、左からの大胆な反緊縮の異論が見られないことである。宇都宮氏への辞退強要でそれが封じられた16年の都知事選では、大衆の不満票は、右からの異論姿勢を示した小池百合子候補に流れた。共産党支持層の2割弱、前回宇都宮氏に投票した人の3割弱が小池氏に投票したとの東京新聞(16年8月1日付朝刊)の出口調査結果が出ている。欧州でも、ハンガリーでは中道左派の社会党政権が市場化・緊縮改革を進め、それに対するもっと左からの目立った批判勢力が見られなかった。するとその後成立した極右オルバン政権が、EU当局に逆らう金融緩和・反緊縮政策で好調な経済を実現し、国民の圧倒的な支持に支えられて強権支配を進めている。似たような状況にあるポーランドでも、15年の選挙で右翼勢力が反緊縮と金融緩和を訴えて新自由主義政権を倒して政権につき、ハンガリーの経済政策にならおうとしている。
そう考えると、右派の安倍政権が景気拡大を前面に打ち出すことで支持を集め続けることも不思議ではないし、左派からの景気刺激論が見えない現状では、もし安倍政権が倒れたならば、次に支持を集めるのは、いっそうあからさまな極右勢力となるだろう。
財政緊縮が景気足踏みの主因
安倍首相と黒田日本銀行総裁の政策下では、当初1年足らずの公共事業拡大による景気拡大を続けたが、途中の消費増税の痛手に追い打ちをかけるように、公的固定資本形成(いわゆる公共事業)が2年間で名目値5%も削減されている。そのため、高齢化等で自然増する社会保障費を加えた政府支出の総計でも、実質値頭打ちが続いた。そうするとそれを受けて、実質GDPの推移は、消費増税前の駆け込み需要による上ぶれと、その後の落ち込みをならすと、きれいにこの動きをなぞって2年足踏みしてきた。