抜米TPP、日欧EPA、RCEPは誰のための自由貿易か(前編)から続く
欧米やアジアでいろいろな枠組みの多国間自由貿易協定(メガFTA)が進められてきたが、トランプ大統領出現後、どれも交渉が暗礁に乗り上げてしまっている。経済発展段階が異なる各国の交渉にかける目論見はばらばらだ。経済社会の発展に応じた産業政策や、自国民の安全・安心のための規制が、“自由貿易”の名のもとに崩されようとしていると気付き始めているからなのか。
これらの貿易交渉を現地に取材し各国のNGOとも連携しウォッチし続けてきた内田聖子さんにこれらメガFTAがもたらすものについて引き続き論じてもらう。
自由貿易で人々は幸せにはならない ― 考慮されない「見えない負のコスト」
これまで経済学の世界では、「equal footing」(対等な競争条件)を実現すれば、すべての人にチャンスが訪れると言われてきた。また、世界で巨額の富を持つ者がさらに豊かになれば、その一部が「トリクルダウン」して貧しい人々にもいつかは届き、みんなが豊かになれるとも言われてきた。
しかしこれらが過去30年間で実現されてこなかったことは各種の統計資料からも明らかである。貿易や投資の自由化は、マクロ経済では一国の経済成長に寄与することはあっても、ダメージを受ける産業や雇用の喪失を必ず伴う。そこで適切な措置を講じない限り、国内の格差は拡大していく。
さらに自由貿易推進論が考慮していない大きな点は、長期的・総合的な利益と費用の問題である。そこには以下で述べるような「見えない負のコスト」が隠れている。
安価な外国産の農産物を輸入すればよいとする政策は、長期的に見れば自給率を下げ、地域を崩壊させるという多大なコストを伴う。企業の経済活動がさらにグローバルに拡大すれば環境にも大きな負荷をかけ、気候変動の要因ともなる。その結果、かつてないような異常気象や大災害が起これば、農林水産業はもちろん社会全体に深刻な打撃と混乱を生み出す。
所得格差が増え失業者が上昇することに伴う社会的コストもどこまで考慮されているだろうか。ISDSによって提訴されるリスクとコスト、特許の延長によって医薬品価格が高止まりすることで、結果的には国民の健康状態が悪化し、最終的には政府の医療費負担や福祉のコストも上がる可能性もある。
「規制緩和=善」という単純な刷り込みは危険
本来、こうした最悪のシナリオを避け社会を安定的に維持していくために、各国は企業の経済活動を一定程度縛る規制措置を講ずる。自動車の排ガス規制も、食の安全基準も、私たちの命を守るためにつくられた合理的な規制だ。2008年のリーマン・ショック以降、金融システムの混乱を避けるため政府が金融機関に対し行う規制・監督措置もある。さらに、規制の方向だけでなく、中小企業への支援措置もある。近年、日本の地方自治体で制定されている中小企業振興基本条例や公契約条例などは、地元企業への公共事業の発注を優先させている。地域経済を活性化し、地域に雇用を生み出すためだ。
そもそもこれらの規制を含む一国の制度とは、一部の人たちだけに利益が集中しすぎないよう公平・公正を保つためにつくられているものだ。しかしメガFTA交渉の中では、これらは「不合理な規制だ」「外国企業への差別的待遇だ」と批判され撤廃することが求められている。
自由化や規制緩和を推進する側は、いつも「既得権益によって不必要な規制が温存されている」と言うが、規制緩和こそが特定の利益集団のための「富のさらなる集中のための制度改変」なのである。
徹底した規制緩和を行った末に生じる「見えないコスト」は、当然各国政府が負担することになり、その財源は国民の税金である。問題は、そのコストがいったいいくらになるのか容易に見通せないことであり、またそこにどれだけ財源を割けるのかを確約することなど極めて困難であるということだ。それほど危険なギャンブルに多くの国の政府は乗り出しているのである。私たちはまず、「規制緩和=善」という単純な刷り込みから脱し、本当に必要な規制とは何かを特定し、守る必要があるだろう。
持続可能で公正な貿易を目指す国際市民社会の取り組み
メガFTAは個別に独立した存在としてあるわけではなく、それぞれのメガFTAが互いに自由化の水準を上げながら進展していく。ある協定がひとたび妥結・発効すれば、その後に続く貿易協定は必然的にそのルールを引き継ぎ、場合によってはさらに企業本位の水準に高められかねない。
だからこそ、個々の協定だけを見るのではなく、各協定の関連や先行した協定からコピーされた条項などを考えていくことが必要であり、「RCEPはTPPよりも打撃が小さい」「アメリカが参加していないから大丈夫」というような錯覚に陥ってはならない。いかなる貿易協定の中においても、私たちが求めていないルールが導入されてはならないし、それが途上国の人々にとって有害となる場合も当然否定しなければならない。
多様性と多元性にあふれた各国の独自のありようを一つの物差しに合わせようとすることには無理がある。途上国は自由化を受け入れグローバル経済に適応したいと思う一方で、国内の貧困削減や医薬品アクセス、公共サービスの充実という社会開発的なゴールも目指さねばならない。この両者が対立的になっているために交渉も進まないのだ。
経済と社会開発を両立させる理念を
世界経済は、すでにアジアを中心に動いている。中国やインド、ASEANと互恵的な経済関係を構築しない限り、日本の経済にも長期的なメリットはない。そこで日本や韓国はRCEPで医薬品特許の保護強化を提案しているが、これらの国が受け入れられないような「高度なルール」を主張し続けても、交渉は妥結するどころか、日本への不信と不満が高まるだけであろう。日本とアジアの中小企業の発展や地域経済の促進という分野での技術協力も進まない。
この問題を解決するためにも、発展段階に応じた関税率や保護政策、社会開発的な課題を解決するようなインセンティブを貿易協定の中に埋め込めないものだろうか。
気候変動に対して脆弱な途上国に対する開発資金源として創設された「緑の気候基金」のように(先進国がなかなか責任を果たさず難航しているが)、日本はアジアの先進国として、あるいは多額のODA(政府開発援助)をアジア各国へ拠出している国として、「経済と社会開発」を両立させるような理念と具体案を貿易協定の枠組みの中でもっと提案すべきである。
ISDSに関しても、アメリカ型のメカニズムではなく、まだ不十分ではあるがEUが市民社会の声に押されてISDSに代わるものとして「投資裁判所制度」を設立したように、民主的で公平なアジアの紛争解決システムを創設することも可能ではないか。
欧米市民社会では、さまざまな思想的・実践的取り組みは各国にてすでに行われている。アメリカではNGOのトップランナーたちがスティグリッツやバーンスタインなどのノーベル賞を受賞した経済学者とともに雇用や環境、公衆衛生などの価値を調和させる「新しい貿易ルール」を政策化する取り組みをトランプとクリントンの大統領選挙前から始めている。