国民の圧倒的な支持で当選した文大統領は、2017年6月19日、寿命を迎えた古里1号機の停止式典で、脱原発宣言を行った。しかし建設中の新古里5、6号機については、「公論化プロセスにより、結論を出す」と公約よりも後退したものとなった。
新古里5、6号機は、すでに建設が30%進んでおり、建設を中止する場合にはもっとも議論をよぶものであった。事実、地元の住民も、建設作業で雇用されていたり、補償金が支払われ、すでに移転していたりしており、今から中止することに関して抵抗が強かった。原発関連の業界からの強い圧力もある。文大統領は、あえて公約を後退させ、建設中止について自ら結論を出すのではなく、「公論化プロセス」に託したのではないかとの見方もある。
公論化プロセスは、2017年7月から3カ月をかけて行われた。公論化委員会が設置され、建設の賛否双方の意見を資料集に記述。2万人の一次世論調査が行われ、回答者の中から、地域・性別・年齢などが考慮されて500人の市民参加団が選出された。このうち471人が、事前学習を行い、総合討論会に参加し、最終アンケート調査に回答した。
結果は、新古里5、6号機の建設中止が40.5%、建設再開が59.5%となった。これを受け、政府は新古里5、6号機の建設続行を決めた。設計寿命が60年もある原発の建設続行により、韓国が脱原発を達成する時期は大きく遠のいた。
しかし、同じアンケート調査の今後のエネルギー政策についての設問では、原発を縮小すべきという意見は53.2%を占め、拡大すべき9.7%、維持すべき35.5%を大きく上回った。
この結果、文大統領は、脱原子力関係の公約として掲げたその他の項目、「新規の原子力発電所建設計画の全面白紙化」と「月城(ウォルソン)1号機をできるだけ早期に閉鎖」は実行すると発言しており、さらに、寿命になる前でも電力需給に支障をきたさないことが判明すれば、政策的な閉鎖措置をとる根拠を設けるとしている(ハンギョレ紙インターネット版2017年7月22日「脱原発ロードマップに『月城1号機廃炉』盛り込まれる見込み」)。
ドイツはチェルノブイリ、福島第一原発事故で脱原発を決定
ドイツでは、1986年のチェルノブイリ原発事故でドイツでも深刻な汚染が報告されてから、原発への反対の気運が高まった。さまざまな紆余曲折を経て、緑の党と社会民主党の連立によるシュレーダー政権のもとで、2002年、脱原発に向けて「原子力法」が改正された。原発の新設禁止および既存原発の運転期間を32年とし、年数に達した原発から順次運転停止して2022年には原発を全廃するとしたのだ。
しかし、2009年の第二次メルケル政権は、電力業界の要請を受け入れ、それまで32年とされていた原発の稼働期間を最長でさらに14年延長することを決定。2010年12月「原子力法」を再度改正した。
2011年3月の東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故のあと、ドイツでは連日、福島第一原発事故に関する報道がなされた。各地で大規模なデモが開催され、脱原発の民意が高まった。メルケル首相の動きはすばやかった。3カ月にわたる「原子力モラトリアム」を決め、原子炉安全委員会に当時17基あったすべての原子炉の安全点検を命じた。
さらにメルケル首相は、「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を立ち上げた。委員会は同年4 月4 日から5 月28 日の2カ月足らずの短い間に議論を重ね、広範な関係者からヒアリングを行い、市民との対話集会をし、報告書をまとめ、メルケル首相に提出した。
報告書では「脱原発は、リスクのより少ない代替手段があるので可能」とし、脱原発をエネルギー転換と技術革新によるドイツの発展のチャンスととらえ、原子力エネルギーから迅速に撤退することを提言している。
これを踏まえ、メルケル首相は、6月6日「2022 年までに現在 17 基ある原発を全廃して、代替エネルギーに転換する」という閣議決定を行った。7月、「原子力法」はこれに沿ってさらに改正された。物理学者でもあるメルケル首相は、福島第一原発事故の映像をみて、「自分の原子力についての考え方が楽観的すぎたことを悟った」と告白した(ポリタス「脱原子力を選択したドイツの現状と課題」熊谷徹、2015年6月22日)。
2011年、ドイツは速やかに脱原発への舵をきったようにみえるが、そこに至るまでには、チェルノブイリ原発事故後の深刻な影響、核廃棄物の処分場建設をめぐる反対運動の高まり、核技術への不信感、緑の党の結党と躍進、再生可能エネルギーへの着実な投資といった、脱原発に向けた大きな流れが存在していた。メルケル首相は現実的な政治家として、倫理委員会の立ち上げと再度の脱原発の決定により、それを具体化した。
福島第一原発事故後の日本の状況
日本では、福島第一原発事故後、脱原発の世論が高まった。2012年、関西電力大飯原発の再稼働を巡っては、それに反対する何万人もの人々が首相官邸前で声をあげた。
2011年6月、当時の民主党政権のもとでエネルギー・環境会議が発足し、2012年の夏、エネルギーと環境に関する選択肢を巡る国民的議論が行われた。「エネルギー・環境に関する選択肢」として、ゼロシナリオ(脱原発)、15シナリオ(原発15%維持)、20-25シナリオ(同20-25%維持)の三つが掲げられ、2カ月にわたり、全国11カ所での意見聴取会、討論型世論調査、パブリック・コメント、報道機関による世論調査などを踏まえた検証が行われた。パブリック・コメントには約8万9000件の意見が寄せられ、うち、原発ゼロを目指すべきという意見が87%(即時ゼロ78%)という結果であった。
検証委員会は、「少なくとも過半の国民は、原発に依存しない社会にしたいという方向性を共有している」「パブコメなど多くの国民が直接行動を起こしている」「毎週再稼働反対のデモが行われている背景には、政府に対する不信と原発への不安が大きい」(「戦略策定に向けて ~国民的議論が指し示すもの~」2012 年9月4日 第13回エネルギー・環境会議)と結論づけ、これを受け政府は、9月14日、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」とする「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した。
しかし、この結論は、2012年12月の自由民主党の第2次安倍政権発足後、白紙撤回された。2013年3月、民主党政権下に設置されていた委員会が廃止され、旧来の形式の審議会が復活し、「エネルギー基本計画」改定に向けての議論が行われた。このプロセスでは、形式的なパブリック・コメントが行われたが、公聴会は行われず、2014年4月に閣議決定された。
内容としては、「原発依存度の低減」を謳いながらも、原子力を重要なベース電源として位置づけ、「原子力規制委員会により世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた場合には、その判断を尊重し原子力発電所の再稼動を進める」としている。