まず、全世代型社会保障では、1)子ども・子育て支援、2)働きかたに中立的な社会保障、3)医療・介護の制度改革という3本の大きな柱が立てられている。政策のリストは広範にわたる。だが、令和5年度(2023年度)の改正で、現実に具体的な制度改革に結びついたのは、出産育児一時金の増額やかかりつけ医の法制化支援など、ごく一部だ。
むしろ議論の焦点は、現役世代の受益を大胆に拡大することよりも、高齢者の負担を増大させ、現役世代の不満を和らげることにあった。事実、介護サービスの利用時負担の引きあげ、国民年金の保険料納付期間の延長、75歳以上の後期高齢者医療の保険料の引きあげ等、財源問題は陰に陽に議論の俎上に載せられた。
統一地方選挙前という事情もあって、実現したのは、後期高齢者医療の保険料引きあげだけだった。乏しい財源を高齢者に求め、出産を控えた世帯に現金を配る、現役世代の保険料負担を軽減するというこぢんまりとした政策パッケージが選択された。
この現実を見て、全世代型社会保障といわれても、誇張の感をぬぐえないのは私だけではないだろう。政府は、出産育児一時金が42万円から50万円に大幅に増えた、というが、子どもにかかる膨大な教育費の前では焼け石に水である。かかりつけ医の法制化も欧米で実施されている本格的な制度には程遠い。
さらにいえば、負担者=高齢者、受益者=子育て世代という線引きは世代間の分断を生む。同世代の間でも、出産する世帯とそうでない世帯との間に対立の芽が生まれる。社会的分断の緩和という視点からすれば、むしろ反対のベクトルを持つ制度設計なのである。
ベーシックサービスで人間の尊厳を平等に
社会の分断状況を打破するカギは、限られた財源のなかで世代間のバランスをとるのではなく、すべての人たちの生活を保障し、世代間の対立、そして所得階層間の対立を無効化することである。
私はこうした視点に立って、税を財源として、すべての人びとに、教育、医療、介護、子育て、障がい者福祉等の「ベーシックサービス」を提供することを提案してきた(『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った?』小学館、『幸福の増税論』岩波書店)。
ベーシックサービスとは、誰もが必要とする/必要としうる基礎的なサービスである。ILOが「GDPの2〜3割を要する」と警告を発したベーシックインカムとは異なり、ベーシックサービスは必要な人しか使わないため、財源を大幅に節約できる。私たちは、現実主義に立脚し、病を抱えても、失業しても、長生きしても、子どもをもうけても、貧乏な家庭に生まれても、誰もが人間らしく生活できる社会をめざすのである。
もちろん、無年金の高齢者、シングルマザー、障がい者など、就労が困難な人たちは現金を必要とする。それゆえ、私は、ベーシックサービスとあわせて、「品位ある最低保障(Decent Minimum)」を提案する。
すでに指摘したように、日本社会では、「弱者」に対する配慮が成立しにくく、「弱者」もまた、施しをきらう。そこで、政治戦術として二つのステップが必要となる。
まず、ベーシックサービスの無償化で中間層の将来不安を解消し、低所得層への財政支援に対する嫌悪感を緩和する。自分たちの生活が守られるのであれば、生活扶助、失業給付の拡充、住宅手当の創設等、どうしても働けず、財政支援に頼らざるをえない人たちへの生存保障(=品位ある最低保障)は許容されやすくなる。
もう一点、ベーシックサービスをすべての人たちに保障していくことで、「助けられる領域」を大胆に縮小させる。医療や介護、教育が無償化されれば、生活保護の医療扶助、介護扶助、教育扶助、さらには修学援助も大幅に削減されることとなる。
確認しておきたいことがある。勤労国家のもとでは、中間層であっても、運が悪ければ将来不安に直撃される。共稼ぎで年収1000万円の世帯であっても、一方が病に倒れ、職を失えば、将来不安はたちまち現実になる。
品位ある最低保障は低所得層への施しではない。あらゆる人びとが直面しうるリスクに対する最低保障、すべての人たちのセーフティネットだ。すべての人びとの生存・生活保障が徹底されれば、中間層の低所得層に対する疑念、嫉妬、低所得層の後ろめたさも解消される。所得だけでなく人間の尊厳を平等にできる。全世代型社会保障は、パッチワークではなく、真に包括的な制度改革として構想されねばならない。
6%の消費税増税でかなう、自己と他者の幸福が調和する社会
大胆な改革には財源が必要であるが、ここでも分断社会の解消がめざされる。
私は消費税を財源の中心に据え、これに所得税の累進性強化、減税の続いた法人税率の回復、金融資産や相続財産への課税強化、逆進性の強すぎる社会保険料の改正等をセットで議論すべきだと考えている。
なぜ、逆進性のある消費税が財源の中心なのか。それは、低所得層も含めすべての人たちが納税者となることで、給付を「施し」から「権利」に変えたいからである。納税という責務を果たせば、社会の一員としての自尊心が育まれる。同時に、納税者としてサービスを利用するのは当然だ、という社会規範も生まれる。
たしかに消費税を柱とすることへの批判は強い。だが、税の累進度の強いアメリカは所得格差が大きく、累進度の弱いスウェーデンは所得格差が小さい事実をどう考えるか。逆進的であっても、貧しい人も負担するがゆえに豊富な税収をうむ消費税を利用し、手厚い給付を行えば、所得格差は小さくできる。
医療、介護、大学教育、障がい者福祉を無償化する。また、義務教育で必要となる給食費、学用品費等も無償化し、さらには保育士や介護士等の給与も引きあげていく。これに品位ある最低保障である、生活扶助・失業給付の3割拡充、住宅手当の創設がくわわる。
以上の財源として、消費税なら6%の増税、つまり16%への引きあげが必要となる。大増税に聞こえるが、じつは主要先進国の平均程度の税負担でしかない。そして、住宅手当を全体の2割に相当する低所得層に月額2万円給付するから、6%の増税でも、低所得層は年間で約15万円も得をする計算になる。それだけではない。社会的分断は緩和され、すべての人びとの生活が楽になり、施しは権利に変わる。
哲学者イマヌエル・カントは、『道徳形而上学原論』のなかで、人間が互いを同等な存在とみなし、人間自身を手段ではなく、目的として扱うことで尊厳が守られる、と論じた。
所得や年齢で人間の扱いを変えるのではなく、〈あらゆる人間にとってのニーズ〉を基準に人間の扱いを変えないからこそ、社会的分断は緩和される。全世代型社会保障はゴールではない。人間の尊厳を重んじ、自己と他者の幸福が調和する社会への変革こそがゴールだ。社会保障改革はその手段に過ぎない。