日本では、近年、首都圏をはじめとする大都市で、家賃の値上がりが続いている。それはスペインでも同様だ。首都マドリードでは、2024年10月、「住まいがない!」と叫び、政府に問題解決を求める市民が、連日のように街を練り歩いた。
欧州有数の観光都市であるカタルーニャ州バルセロナでも、11月、同様のデモが起きる。オーバーツーリズムにより、住宅が民泊用に転用されることで、家賃がパンデミック前の4割増になり、多くの住民が住み慣れた地域を離れざるを得なくなっているからだ。
そんななか、市民主導で今、住まいを持つ権利を保障するための新たな取り組みが広がりつつある。
発端は住民運動
バルセロナ市サンツ地区には、カン・バッリョと呼ばれる場所がある。そこは19世紀、繊維工場地帯だった。2万1000平方メートル以上ある敷地に、煉瓦造りの立派な倉庫が何棟も並ぶ。だが、工場が閉鎖されて以来、地域のために活用してほしいという住民の要望にもかかわらず、その建物はただ放置されていた。それに不満を抱いた地元住民は、2011年、300人ほどで建物の一つを占拠し、バルセロナ市役所に「カン・バッリョを市が買い取って公有化し、住民の自治組織に無償で貸し出すこと」を求める運動を始める。地域の中心に位置する未使用の広大な土地と建物が、住民のために使われないのはおかしい、行政がやらないのなら自分たちで有効利用する、と訴えたのだ。
その結果、2015年から市政を担った市民政党バルサロナ・アン・クムが対話に応じ、1万3000平方メートルの土地と建物を30年間、無償で利用する権利を自治組織に譲渡した(その後も、10年ごとに2度延長可能)。それ以来、カン・バッリョの一部はサンツ地区の「住民による住民のための施設」となった。
「私たちは、図書館をはじめ、裁縫スペース、協同キッチン、バル、保育所、印刷所、修理作業場など、住民が必要としているものを話し合いで探り、作っていきました。運営はすべてボランティアが担っており、バルの飲食代以外、基本的に無料で利用できます」
自治組織メンバーの一人はそう語る。彼らは現在、経済、アート、図書館、料理、菜園など、テーマごとに23の委員会をつくり、様々な事業や企画の運営を住民の手で行っている。2016年には、そうした委員会の一つとして、「住宅委員会」が発足し、カン・バッリョの一角に集合住宅を建設するプロジェクトを立ち上げる。当時、すでに価格が高騰し始めていた住宅の問題を、自分たちの理想に則ったかたちで解決しようと考えたのだ。
公有地に立つ利用権譲渡型集合住宅「ラ・ボルダ」
住宅委員会のメンバーは、プロジェクトに参加する仲間を28世帯集め、住宅協同組合ラ・ボルダ(かつてカタルーニャ州の農業地帯では、農業労働者たちが寝泊まりする家をそう呼んでいた)を設立する。そして、市から年5000ユーロ(当時のレートで約60万円)で土地を75年間借りる契約を取り付けた。1世帯当たり、月1800円ほどの負担で済む計算だ。
建設費用は、住人となる各組合員が1万8000ユーロ(同・約225万円)ずつ出資し、不足分(総建設費の8割)は複数の協同組合が設立・運営する金融機関や市役所からの融資などで賄うことになった。
こうして動きだした住宅プロジェクトの建築設計は、地域にある建築家協同組合に依頼し、協同組合が建築家と話し合いを繰り返しながら、コミュニティづくりに役立つ共有スペースの確保と、環境負荷の少ない構造・設備を重視する住宅づくりを進める。
そして、2019年、カン・バッリョの北西の角に、スペインでは珍しい木造の高層集合住宅が完成した。そこには、1歳から75歳までの60人ほどが生活している。
ラ・ボルダの部屋には、67平方メートルの2LDKと90平方メートルの3LDK、2つのサイズがある。家賃は2LDKで月600ユーロ(現在のレートで約10万円)、3LDKで900ユーロだ。これは、地域の相場より4割ほど安く、しかも光熱費やインターネット代も含まれている。
自分たちで建設したのに、なぜ家賃を払うのか? それは、この集合住宅が個人所有ではなく、「住宅協同組合の所有」だからだ。協同組合の理事の一人で広報委員会メンバーのアドリア・ガルシアさんは、こう説明する。
「私たちは、どうしたら街の住宅システム自体をよりよいものに変えられるだろうか、と考えました。その結果、個人は何も所有せず、協同組合に所属することで、住んでいる間だけ協同組合から部屋を借りる、というかたちに辿り着いたんです」