人気回復は麻生氏頼み
北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)を乗り切った福田首相は7月16日から約1週間、早めの夏休みを取った。休暇を終えた22日に、「いっさい何もしなかった。サボったということかなあ」と記者団をけむに巻いたが、実は、その時には既に内閣改造を決断していたようだ。待っていたのはジュネーブでの世界貿易機関(WTO)交渉に出掛けていた甘利明経済産業相らの帰国だった。甘利氏らは7月31日に帰国。ここで福田首相が動く。同日夜、麻生太郎氏に電話をして「今から会いたい」と申し入れたが、麻生氏が滞在していたのは山形県の温泉地。そこで電話で「幹事長になってもらえませんか」と切り出した。「そういう話は電話では…」と麻生氏が渋り、翌日、首相公邸で会うことを約束した。
実は麻生氏には森喜朗元首相から幹事長就任の打診をされていたから驚きではなかったが、麻生氏の条件は党3役と同格とした選挙対策委員長の降格だった。幹事長権限が狭められているからだ。8月1日午前11時から会談したとき、福田首相はこの問題について、「総裁として党則を変えてまで設けたポストだから、このまま行きたい。それは麻生さんのときに変えたらいい」と言い切った。いわば“政権禅譲”を約束したようなシーンだった。それが決め手となって麻生氏は幹事長を受諾したとされる。
福田首相としては、サミットを乗り切ったとの自負もあり、高揚感もあったが、肝心の内閣支持率が横ばい状態。政権の人気回復を図るには麻生氏の力を借りなければならなくなったことと、「ポスト福田」の最有力対抗馬を政権内に取り込むという一石二鳥を狙ったものだ。
“上げ潮派”一掃で政策変更か?
自由民主党内には経済成長を重視する“上げ潮派”と消費税引き上げを目指す“財政再建派”の路線対立がある。今回の党人事と内閣改造では、前者の代表格である中川秀直元幹事長に声が掛からなかっただけでなく、構造改革を推進してきた大田弘子経済財政担当相、渡辺喜美金融担当相も留任がならなかった。小泉純一郎元首相の立場に近い、いわゆる“上げ潮派”が人事的に一掃された形だ。これと対照的に“財政再建派”は、与謝野馨氏が経済政策の元締役である経済財政担当相に、伊吹文明氏(前幹事長)が財務相に、谷垣禎一氏(前政調会長)が国土交通相にそれぞれ起用された。ただ、だからと言ってこのチームがかねての主張だった消費税の早期導入に動くかは微妙だ。
8月7日発表の月例経済報告が4年7カ月ぶりに「回復」の文言を外し、「景気は弱含み」と下方修正したように、財政再建より景気回復策が急がれる情勢なのだ。政府・与党は財政出動によって乗り切ろうとするから必然的に「大きな政府」の考えになり、構造改革推進の“上げ潮派”との対立は先鋭化しそうだ。
郵政民営化での「造反派」だった保利耕輔氏が党政調会長に、野田聖子氏が消費者行政担当相に起用されたのも「脱小泉」人事として注目された。女性は野田氏と中山恭子拉致問題担当相の2人。17閣僚のうち13人が入れ替わった。
衆院解散時期は依然不透明
現在の政局に絡む要素は3Kと言われる。「改造」「国会」「解散」の3つだ。今回、内閣改造を断行したことで、次の関心事は衆議院解散・総選挙の時期に移るが、その前哨戦として次期臨時国会の召集時期が大きく関係する。公明党は、09年7月ごろの東京都議会議員選挙を念頭に、この時期の総選挙を避ける意味で「年末・年始解散」を主張。そのため、臨時国会では与野党対決となるような新テロ対策特別措置法改正案の処理を可能とする「8月末召集」に反対している。
これには自民党内から古賀誠選対委員長らも賛意を示していた。今回、「8月召集」論者の伊吹氏が党4役から外れたため、国会召集は公明党の意向もくんで「9月中旬召集」の線となった。ただし、これだけで「年末・年始解散」の流れができたとも言えない。
内閣支持率が低迷したままなら「年末・年始解散」も難しく、「来年春か夏の解散」か、さらに秋口の「任期満了直前解散」というシナリオが現実味を帯びてくる。
果たして福田首相の手で解散できるかにも疑問符が付く。行き詰まれば麻生氏へのバトンタッチがあり得る。永田町で福田氏が麻生氏への「政権禅譲」を約束したとの説が流布されているのも根拠のないことではない。結局、政府・与党の解散戦略は定まらず、「だれが解散するのか」「いつ解散するのか」とも不透明なままだ。
上げ潮派
構造改革を通じた経済成長によって日本経済を立ち直らせるべきだとする自民党内の一派。中川秀直元幹事長や塩崎恭久元官房長官らが代表格で、その後見人として小泉純一郎元首相、竹中平蔵元総務相がいる。与謝野馨、谷垣禎一、伊吹文明各氏らの消費税引き上げによって財政規律を早急に回復するべきだとする“財政再建派”と対立している。