誤算続きの麻生首相
3月3日に小沢一郎民主党代表(当時)の政策第一秘書が逮捕され、同24日に起訴されたにもかかわらず、小沢氏は代表続投を表明。民主党人気がさめるのと反比例するように、麻生内閣支持率は一時期の10%ラインから30%近くまで回復した。しかし計算通りだったのはそこまで。小沢氏が連休明けの5月11日、電撃的な記者会見を行い、代表辞任を表明。ここから誤算が始まった。
自由民主党としては、後継争いで「岡田民主党」が誕生すると、民主党に勢いが出ると恐れた。その意味では「鳩山民主党」は歓迎すべきものだった。そこで一斉に「小沢院政」「二重権力構造」と批判。鳩山民主党の人気は限定的と見ていた。
ところが、代表選直後の共同通信の世論調査で政党支持率は民主30.0%、自民25.2%と再逆転した。衆議院選挙比例代表の投票先も民主37.3%、自民25.8%と差が拡大。「どちらが首相にふさわしいか」の質問でも鳩山氏(43.6%)が麻生氏(32.0%)に大差をつけた。6月13・14日の調査では鳩山氏50.4%、麻生氏21.5%。
悪いときには悪いことが重なるものだ。厚生労働省の分割問題では麻生首相が「医療、介護、年金、福祉が社会保障省、雇用、家庭、男女共同参画が国民生活省になるのかな」とぶち上げたが、自民党内から反対論が相次ぎ、あっさり検討見送りを表明。ここでも「ぶれる」麻生首相の姿が見られた。世襲候補制限問題では自民党の方針が二転三転した。
さらに「かんぽの宿」売却問題に端を発した日本郵政社長人事で、麻生首相は盟友の鳩山邦夫総務相を6月12日更迭、政権はまた打撃を受けた。
抜くに抜けない「伝家の宝刀」
こうなると麻生首相の「解散は私が決めますから」という言葉もうつろに聞こえる。「伝家の宝刀」と言われる解散権も抜くに抜けない状況なのだ。衆議院議員の任期は9月10日で切れる。その間に衆院解散しないと、総選挙は「任期満了選挙」となってしまうので、解散の窓はいよいよ狭いものになってきた。
解散日程に大きくかかわる通常国会の会期延長について、麻生首相は公明党の太田昭宏代表と5月31日、6月1日と2日連続でひざ詰め談判した。その結論は大幅延長論の自民党と小幅延長論の官邸サイドの中間を取り、公明党の顔も立てる形で「7月28日までの55日間」というもの。
常識的には補正関連法案の処理を終えたイタリア・サミット(7月8~10日)前後の解散が最有力になった。投票日は8月2日か8月9日になる。難点は天皇・皇后両陛下が7月3日から17日までカナダ・ハワイを訪問されるため、その間の解散は避けるべきとの意見があり、解散日の選択肢が少ない点だ。
そこを逃すと次のチャンスは通常国会会期末。会期末当日(7月28日)に解散すれば、8月30日か9月6日投票が可能だ。解散権の行使というには程遠い「任期満了解散」「追い込まれ解散」となる。
しかし今回は東京都議選(7月12日)の結果次第では、さらにその先への解散繰り延べもあり得る。あらためて臨時国会を召集して解散すると9月27日投票案などが浮かぶ。最も遅いケースでは10月20日(日曜なら18日)投票が法的に可能だ。
しかし解散せずに通常国会を閉じれば、自民党総裁選前倒し論が勢いを増すことは必至。“麻生降ろし”が吹き荒れるリスクが高まる。
政策の違いはあるのか?
総選挙ではマニフェストが重要だ。ところが今回は両党ともマニフェスト策定が大幅に遅れている。自民党は検討するプロジェクトチーム(PT)の座長に菅義偉氏が決まっただけの状況だ。PTが発足すると早期解散の流れができるのを恐れたことと、菅氏が世襲候補制限を主張したため、これへの党内反発のあおりもあったためだ。麻生内閣支持率が低迷する中、起死回生の目玉政策がないという事情もある。他方、民主党も小沢前代表の西松献金事件があって、マニフェスト作りに本腰が入らなかった。特に党内で意見の違いが大きい安保政策と財源問題が弱点だ。「政権交代」のスローガンだけで有権者を引きつけることができるだろうか。
ここは自民、民主両党とも早急にマニフェストを示すことが求められる。具体的な政策の違いが示されないと、有権者はどの党に入れてよいか戸惑うばかりだ。