何から何まで異例ずくめの総選挙となったのは、安倍晋三、福田康夫と2代続けて途中で政権を投げ出した後の麻生政権も極端な不人気に見舞われ、衆院解散を先延ばしにしてきたせいだ。立候補予定者は8月3日現在で計1249人。政権維持をもくろむ自民・公明両党にとっても、政権交代を目指す民主党にとっても天下分け目の関ケ原の合戦を迎えた。
政権交代の是非が問われる
自由民主党内では麻生内閣の支持率低迷で「麻生降ろし」の動きが活発化し、9月予定の総裁選の前倒しを求める運動が起きていた。そこで麻生首相は7月12日の東京都議会議員選挙で自民党が惨敗したにもかかわらず、翌13日、衆院解散日を予告するという挙に出た。投票日を「8月30日」にずらすことで公明党や党執行部を味方につけつつ、麻生首相の下での解散断行を確定させることに成功した。一瞬、虚をつかれた形の反麻生派は慌てて両院議員総会の開催を求める署名集めに奔走したものの、党執行部は両院議員総会には応じず、これに代わる両院議員懇談会でガス抜きを図った。
7月21日、解散本会議の直前に開かれた両院議員懇談会で麻生首相は、「ぶれたと言われ政治不信を与えた。深く反省する」と陳謝。このため、内閣不信任案への反対投票(7月14日)など既に腰砕けになっていた反麻生派の中川秀直氏らもそれで矛を収めた。
これに対し民主党の鳩山由紀夫代表は7月21日の両院議員総会で、「新しい日本の政治を興す革命的な選挙。歴史的な使命感を持って臨もう」とあいさつ。今回の総選挙での「政権交代」への熱い思いを語った。
確かに1993年には細川護熙内閣ができ、政権交代が実現したが、選挙前に新政権の姿を訴えたわけではなかった。その意味では今回、初めて正面から有権者に「政権選択」を問う選挙が実現したと言える。
マニフェスト選挙の様相
最近、単に美辞麗句を並べただけの「公約」でなく、きちんと数値目標・財源を明示したマニフェスト(政権公約)中心の選挙の様相が強まっている。「マニフェスト選挙」は、総選挙としては2003年、05年に次ぐものだ。民主党のマニフェストは7月27日発表された。「生活再建」に向け5つの約束として、(1)ムダ遣い、(2)子育て・教育、(3)年金・医療、(4)地域主権、(5)雇用・経済―のテーマを掲げ、月額2万6000円の「子ども手当」新設などを目玉政策として打ち出した。
これに対し自民党は「財源があいまいだ」「安全保障政策に触れていない」と批判を強めているが、自らのマニフェストは遅れ気味。それでも7月31日に発表した。ただ大胆な政策には踏み込めず、保育園・幼稚園の無償化、道州制の導入など新政策は限定的だ。
公明党は政治資金規正法違反の厳罰化など、共産党は労働者派遣法の廃止など、社民党は最低賃金を時給1000円以上とし、国民新党は郵政民営化の見直しなどをそれぞれ発表している。
有権者はどう行動すべきか
日本国憲法は「国民主権」を定めているが、国民が真の主権者として振る舞えるのは選挙の時をおいてない。しかも参議院選挙と違って総選挙(衆院選)では、選挙後の特別国会で必ず首相指名選挙が行われるから、間接的に首相を選ぶことにつながる。これが日本の民主主義の神髄だ。政党は首相候補として党首を立て、政策セットとしてマニフェストを掲げて戦う。もちろん各候補の人材力も大事だ。そこで有権者としては「党首力」「政策力」さらに「候補力」を慎重に吟味して賢明な投票をすることが求められる。
政策力についての判断基準は与党と野党では異なる。政権与党だった自民・公明両党に関しては、これまでの政策の実績を判断することになる。「業績評価投票」と言われる。ある意味では厳しい評価を覚悟してもらわないといけない。
他方、野党の政策はビジョンに過ぎないから大胆な政策提言が可能という点で有利だが、それだけ財源が大丈夫かなど厳しくチェックする必要がある。政権を担当したことがないことへの国民の不安感が根強いことも承知しておくべきだ。
そもそも政党の側には政治の「製造者責任」が求められるが、政治の「消費者責任」がある国民の側には賢明な選択が求められる。そうしなければ民主主義の質は向上しない。
現在の小選挙区制の下では、国民は各選挙区の候補に対して「政党」「党首」「マニフェスト」を一体のものとして選ぶことになる。いずれにも共通するのは「信頼性」だ。国民は向こう4年間を託すに値する、信頼感のある政党・候補を比較検討して選択しなくてはならない。