「反官僚」ではなく「脱官僚」
総選挙での民主党圧勝を受けて、鳩山由紀夫政権は、早速マニフェスト(政権公約)の実現に乗り出した。政権公約の一つは、「官僚主導の政治」あるいは「官僚丸投げの政治」から、政権党が責任を持つ「政治家主導の政治」への転換である。自由民主・公明両党の政治のどこが官僚主導で、官僚丸投げなのか。官僚は政府活動にはつきもので、政策実施機構がなければ困る。官僚バッシングしても、その存在を否定できない。だから、「反官僚」ではなく「脱官僚」にならざるをえない。
官僚優位の伝統が形成された
わが国が明治維新で近代国家の形成へ乗り出したとき、三権分立制を採用し、一時、「立法・行法・司法」という言い方をとったことがある。法を立て(制定し)、制定した法を行い(実施・執行し)、法をつかさどる(法的争いを裁く)という、実に素直でわかりやすい表現であった。このうち、「行法」はすぐに「行政」にとって代わられた。「行政」とは、「政」(まつりごと)を行うことである。官僚が担ったのは「行法」ではなく「行政(立法+行法)」なのである。この「行政」と、試験制度で入庁してくる官僚の「優秀」イメージが結びついて、国家統治における官僚優位の伝統が形成された。
国会議員が「本人」で官僚は「代理人」
日本国憲法は「主権在民」をうたい、日本国民は、「正当に選挙された国会における代表者」を通じて行動し、国会は、「国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」とされている。内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名され、その内閣総理大臣が内閣を組織し、閣員である各府省の大臣の下で官僚は仕事を行う。これを、プリンシパル(本人)・エージェント(代理人)理論で言えば、国会議員が「本人」で、官僚は「代理人」であることは明白である。日本国憲法の下では「官僚内閣制」などありえず、必ず「議院内閣制」になる。ところが、立法作業には多大な労力がかかるから、政治家自らが法案を起草するよりも、官僚に肩代わりさせるほうが省エネになる。ただし、それは政治家の意向の範囲内で行うことが条件である。しかし、しばしば首相と担当大臣と与党の間で意見の違いが起こるため、誰が「本人」なのかはっきりしないことがあり、既存の政策の実施状況、新規政策の問題状況、政策の立案・法案化に関する情報を保有している強みから、官僚は「本人の意向」を都合よく解釈し、行動してしまう危険性がつきまとう。しかも、官僚優位の伝統がある。
議院内閣制の下で自民党の一党優位体制が続き、自民党は選挙を通じて国民から一般的な支持を調達し、その自民党の意向を受けて、あるいは意向を予想して、官僚が法案の作成等に当たることができた。自民党は各省庁の人事に関しては、大幅に官僚側の自律性を認めてきた。その過程で官僚側が大臣をさしおいて、省庁を代表するような言動をすることにもなった。民主党は、それを「官僚主導の政治」あるいは「官僚丸投げの政治」と批判した。
「政と官」の抜本的見直しはできるか
民主党は、与党議員が100人以上、大臣・副大臣・政務官などとして政府の中に入り、中央省庁の政策立案・決定を実質的に担うことによって、官僚の独走を防ぎ、政治家が霞が関を主導する体制を確立し、政・官の癒着によって公正であるべき行政がゆがめられることがないよう、政治家と官僚の接触に関する情報を公開し、また、各省設置法のあり方を抜本的に見直す、としている。はたして、民主党政権下で、政官関係はどのように変わるのか。自公政権でも、約70人の与党政治家が大臣、副大臣、政務官として政府に入っていたから、民主党政権下でさらに30人ほど増える程度で、これにより大臣主導・内閣主導による政策決定過程への変革が可能になるかどうか。
なにより、立法作業にかかる多大な労力を官僚に依存せず、政治家自身が負うというならば、その準備には、政権党側に知力・体力に富み、内外の情報に通じる少数精鋭の政策チームが数多く必要になる。鳩山内閣は早速、事務次官の記者会見の禁止、事務次官等会議の廃止、経済財政諮問会議の停止など「脱官僚」の手を打ち始めた。
官僚の言い訳と抵抗手段
政官関係の改革に当たって、省益擁護になると「賢くしぶとい」官僚に、新たな議員バッジの威力はどれほど効くか。森羅万象所管主義の牙城である省庁設置法を、内閣の意思で変更するとなれば、官僚の忠誠・安心の場所が揺らぐことにならないか。無駄遣いの根絶の一環として天下りを禁止すれば、キャリア官僚の早期退職が難しくなり、人事は停滞しないか。特権的なキャリア制度自体を廃止するとなれば、志と知力の高い人材の確保に不安が出てこないか。政治家が官僚の人事を実質的に決めることになれば、人事評価と配置・昇任に政治家の偏重による弊害が生まれないか。などと言って、官僚側は必ず抵抗する。
抵抗の手段は、対応を遅らせる、必要な情報を出し渋る、偏った情報で説明する、意図的に情報を流すなど、いくらでもある。政官関係はバトルの様相を呈することになる。それでも、日本国憲法の建前では、民意を体現する「本人」である国会議員は、「代理人」にすぎない官僚に優位しうる。
民主党が言う「霞が関解体」が進めば、おそらく、「行政」ではなく「行法」に近い官僚イメージになるだろう。それによって、政策の形成と内容がどのように変化し、その結果、日本国のゆくえに展望が開かれるかどうか、あるいは、さらなる混迷が待ち受けているかどうか、2009年総選挙の結果は、政官関係を大きく変える転機となることは間違いない。