マニフェストとは?
選挙が近づくと政党はそれが目指す政策を掲げる。北アメリカやイギリスやその影響を受けた国々では数十ページの冊子にまとめる。それをアメリカでは「プラットフォーム」(platform)といい、イギリスでは「マニフェスト」(manifesto)と呼んでいる。日本ではそれを選挙公約と呼ぶのが普通であるが、最近は、そうした公約のうちでも「体系だった政策の期限、財源、数値を工程表付きで示し、選挙後、進捗(しんちょく)率の事後検証ができる選挙公約」を日本語で「マニフェスト」と呼ぶようになった。この日本的マニフェストは2003年に三重県知事の北川正恭が提唱したものである。最近のイギリスのマニフェストは長くなり、個別の政策に言及するようになってきてはいるが、数字付きの公約で満ちているわけではない。つまり、日本的マニフェストはイギリスのマニフェストと同じものではない。
マニフェスト論者の主張と矛盾
マニフェスト論者たちは次のように主張している。選挙において有権者はマニフェストをみて投票する。その結果、多数を獲得した政党は、多数の支持を得たのであるから、みずから掲げたマニフェストを実現すべきである。そして、実現できないのであるならば、新たに実現可能なマニフェストを作って選挙を行うべきである、と。ただし、この主張の「そして」以下は、どういうわけか、マニフェスト論者は語らない。しかし、この言い分が通るためには、いくつかのハードルを乗り越える必要がある。まず、マニフェストは政党の一部や特定の幹部だけでなく、全党員が参加して時間をかけて作成する必要がある。そうでなければ、そのマニフェストはその政党のマニフェストとは言うことはできない。マニフェストの本家であるイギリスではかなりの程度それが実行されている。しかし、日本では、少なくとも現在までは、一部の人がマニフェスト作成にかかわっているに過ぎない。菅直人首相が民主党のマニフェストに書かれた子ども手当について「ちょっとびっくりした」と他人事のように語ったのはそれを端的に示している。
望ましい政党を選べない
仮にマニフェストが、ある政党で民主的に作られて、選挙に提出されたとしよう。次には、マニフェストは有権者によってまず読まれなければならない。有権者は各党の政策を比較するのであるから、すべての政党のマニフェストを読むことが必要である。しかし、普段から政治にあまり関心のない国民がマニフェストを読むことは通常考えられない。事実、本家のイギリスでも200人に1人よりも少ない人しかマニフェストが読まれないという指摘がなされている。少なくとも残りの99.5%以上の有権者はマニフェストに基づいて投票をしてはいないということになる。具体的には党首のイメージとか、政党の一般的な評判とかいうものが投票では重要である。多数党となったからといってマニフェストを実行するのは、むしろ非民主的であるといわなければならない。
仮に有権者の少なくとも過半数がマニフェストを読んだとしよう。さて、有権者はマニフェストを読んだあと、望ましい政党を選ぶことができるだろうか。もちろん、ある政党の主張にはすべて賛成で、その他の政党の考えには不賛成であるということがあるかもしれない。こういう有権者は、実は政策が好ましいからある政党を支持するというよりも、もともとその政党が好きといったほうがいい。これらの人にはそもそもマニフェストはいらないのである。
反民主的といえる政策の実施
マニフェストのある政策には賛成だが、その他の政策には反対だというのが、多くの有権者が抱く感情であろう。それでは、それらをどう総合的にとらえて、その政党に投票するということになるのであろうか。実は、総合的にとらえる仕方などない。要するに有権者は適当に投票政党を決めているのである。たとえば、その他の政策はともかく、自分がもっとも大切な政策について、この政党が自分の考えと一致しているから、この政党に投票するということもあろう。もっとも、考えが一致する政党は一つとは限らないが。こういう有権者にはマニフェストは別に「体系的」である必要もないが、有権者が仮にこのように行動すると、多数党となった政党のマニフェストすべてに国民の多数が反対しているということも起こるのである。
たとえば民主党のマニフェストが、(A)子ども手当、(B)高速道路無料化、(C)農家の所得補償制度の三つ政策からできていたとする。それに対して、(1)子ども手当=賛成、高速道路無料化=反対、農家の所得補償=反対、(2)子ども手当=反対、高速道路無料化=賛成、農家の所得補償=反対、(3)子ども手当=反対、高速道路無料化=反対、農家の所得補償=賛成、(4)これらの政策のどれも反対、という考えがあり、それぞれ有権者が20、20、20、40%の比率でいたとする。(1)から(3)の有権者は、それぞれ自分が賛成する政策がもっとも大切と考えて民主党に投票する。そうすると民主党は、(1)と(2)と(3)の有権者の票を得て、絶対多数を獲得する。しかし、有権者全体から見れば、子ども手当、高速道路無料化、農家の所得補償に賛成するのはそれぞれ20%しかいない。残りの80%は反対である。こんな政策を実施することは民主的どころか、反民主的といわなければならない。
要するに、あるマニフェストを掲げた政党が多数を取ったからといって、そのマニフェストのなかの個々の政策がどれも多数を取ったとは限らないのである。ここが大切である。実際、民主党が政権を獲得した09年の総選挙では、国民の多くは民主党の政策には反対していたにもかかわらず、政権交代を望んだ結果、民主党が多数を得たのである(朝日新聞「世論調査」09年9月2日付)。
議会での審議が重要だ
結局、選挙に表れた民意というものはどこにあるのかは、マニフェストを掲げて選挙をやったとしても必ずしも明らかではない。05年のいわゆる郵政民営化選挙で、国民は本当に郵政の民営化に賛成したのであろうか。小泉純一郎首相のパフォーマンスに酔いしれただけなのかもしれない。郵政民営化と一緒に掲げられた自由民主党のマニフェストに国民は賛成したのだろうか。国民の意思はどこにあるのか、それを見極める必要がある。小泉元首相が「世論の動向に左右されて正しいかというのは、そうでない場合も多々ある。世論が正しい場合もあるが、世論に従って政治をすると間違う場合もある。それは歴史の事実が証明しているところだ」と語っているような場合もある(岩見隆夫著『非常事態下の政治論』)。歴史に対して責任を負う政治家が国会において真摯(しんし)に議論を戦わせて、すぐれた政策を立案することが、これまで述べた危ういマニフェストよりもはるかに大切なことである。