菅首相の誤算
それにしても政権末期というのは、いつもつるべ落としの秋の日のように急速に落ちていくものだ。東日本大震災から約70日。本来なら復興策づくりがヤマ場を迎えている時期に、内閣不信任決議案が提出された。民主党からの大量造反が予想されたため、菅直人首相は「一定のめど」がついた段階での辞任を表明。この奇策で内閣不信任案は大差で否決されたものの、菅首相にとっての誤算は、政局が一気に早期退陣に動き出したことだった。民主、自由民主両党は「菅抜き」大連立に向け走り出した。
内閣不信任案をめぐる攻防
菅首相が意気揚々とフランス・ドービルでの主要国首脳会議(G8サミット)から帰国したのは5月26日だった。1週間の不在は政局への勘を鈍らせた。不在中に野党の自民、公明両党は早期の内閣不信任案提出の方針を固め、民主党内の小沢一郎グループは不信任案賛成の署名集めを進めた。5月31日夜、鳩山由紀夫前首相が首相公邸に乗り込み早期退陣を迫ったが、首相はウンとは言わなかった。この時点ではまだ、菅首相サイドは「否決」に自信を持っていたのだ。ところが6月1日の党首討論後、不信任案が提出された1日夜から2日朝にかけて悲観論が強まる。
そこで首相側近の北沢俊美防衛相と鳩山氏側近の平野博文元官房長官が話し合って、辞任時期は明示しないものの、早期退陣を示唆することで不信任案を乗り切ることに合意。「確認事項」の文書も作成した。(1)民主党を壊さない、(2)自民党政権に逆戻りさせない、(3)大震災の復興と被災者救済に責任を持つ(復興基本法の成立と第2次補正予算の早期編成)、の3項目。6月2日午前、菅首相と岡田克也幹事長、鳩山氏と平野氏の4者会談で確認した。
これを受けて正午から始まった代議士会で、菅首相は「一定のめどがついた段階で若い世代に責任を引き継いでもらいたい」と表明した。これにより小沢グループも撃ち方止めとなり、同日午後の衆院本会議で内閣不信任案は賛成152、反対293、棄権・欠席33の大差で否決された。
墓穴を掘った辞意表明
しかし事態は沈静化しなかった。辞任時期を明示しなかったことが混乱に輪を掛ける。岡田幹事長が確認事項を「退陣の条件ではない」と強調したことに、鳩山氏が「人間、うそをついてはいけません」と反発。菅首相自身も記者会見で「(福島原発の)冷温停止が一定のめどだ」と表明した。東京電力の工程表通りなら12年1月まで続投することになる。再び怒ったのは鳩山氏だった。6月3日、「不信任案が否決されたら『辞めない』というペテン師まがいのことを時の総理がしてはいけません」と手厳しかった。野党側も菅政権のままなら大震災復興基本法案には協力するが、第2次補正予算案審議には協力できないと反発を強めた。翌4日には枝野幸男官房長官が「9月前半の訪米は菅首相を想定しているわけではない」とするなど首相側近も「8月退陣」を打ち出した。
それでも早期退陣論は収まらない。自民、公明両党は6月5日、「死に体内閣には協力できない」と6月内の退陣を求めた。岡田幹事長は「退陣時期は首相が判断することだ」との建前論を述べつつも、「多くの人の思いとかけ離れていれば、幹事長として『辞めてください』と申し上げる」として早期退陣論に同調した。いわば外堀(野党)も内堀(民主党執行部)も埋められた形で、早期退陣の流れは加速した。
菅首相は当初、退陣表明を不信任案否決の方便とだけ考えていたふしがある。この戦術はとりあえずは成功したかに見えたが、結局は墓穴を掘った形だ。むかし退陣を迫った福田赳夫氏に対して大平正芳首相(当時)は、「辞めろというのは、おれに死ねということか」と切り返した。最高権力者の「辞める」の一言はそれほど重いものだ。菅首相が自らの発言にどれだけ重みを感じていただろうか。
流れは大連立へ
退陣時期以上に6月5日のテレビ出演で注目されたのは、民主党の岡田幹事長と自民党の石原伸晃幹事長がともに「大連立」に積極姿勢を示したことだ。政界は早くも菅首相を置き去りにして次の政権の設計図を描こうとしている。「与野党が協力して復興や社会保障と税の一体改革などの大きなテーマを乗り越えることが必要だ」(岡田氏)
「期限を区切って3カ月でも半年でも予行演習をし、政策を掲げて衆院選をして本格的な体制を作るべきだ」(石原氏)
双方から浮かび上がるのは「期間限定・テーマ限定」の大連立という考えだ。かねてから接触を保ってきた仙谷由人官房副長官と大島理森自民党副総裁も6月4日に極秘会談を行った。仙谷氏が期間を「6カ月から1年間」と幅を持たせたのに対し、大島氏は「6カ月」を主張した。
実は先の「不信任案政局」での民主・自民連携と、今回の「大連立政局」の連携とは構図が違う。不信任案のときは自民党ベテラン組と小沢グループが手を結ぼうとしていたのに対し、今回は「小沢抜き」大連立だ。「菅抜き」でもある。菅首相サイドだった岡田幹事長や枝野官房長官、仙谷氏らも大連立になだれている状況だ。
それでも大連立には課題が山積している。民主党と自民党双方とも大連立慎重派を抱えており、党内調整が難航する懸念もある。それもあって自民党の大連立推進派はハードルを上げてきている。一つは解散時期の明示であり、もう一つはマニフェスト(政権公約)の「バラマキ4K(子ども手当、高速道路無料化、戸別所得補償、高校無償化)」の放棄だ。民主党にとっては難題だ。連立交渉は意外に難航する可能性もある。
実は連立の形は次の「ポスト菅」選びとも大きくかかわる。いま民主党内で有力候補とされるのは野田佳彦、前原誠司、枝野幸男、玄葉光一郎各氏らだが、連立工作が進んでくれば、連立政権のシャッポとして座りのいい人物というのも選考基準になろう。「ポスト菅」は本命不在、国民不在の権力争いになりそうだ。